東部国民勤労訓練所では訓練生(収容定員一千名)に対して一か月間の教育訓練を実施することになった。「日本精神、勤労精神、戦時経済」などの講義に加え、「精神訓練の主体を御祓に置き、更に体操、教練、各種作業(タガネ打、農耕等)、勤労報国作業等により身体的錬成を為す」とされており、精神主義的色彩が濃厚であった。また、全寮制で制服は貸与、旅費の一部や食事に加え、若干の手当てが支給され、修了者は優先的に国民職業指導所の斡旋を受けることができた(『転廃業者の進路』)。
つまり国民勤労訓練所は、家業を奪われ転職を余儀なくされた自営業者たちの不満や抵抗感を抑え込み、「日本精神」を発揮させるために、彼らの精神と身体を「錬成」する施設であった。東条英機首相をはじめ、岸信介商工大臣、小泉親彦厚生大臣といった政府要人がここを視察に訪れたことは、戦時労働力動員政策にとってこの施設がもつ重要性を物語っている。なお政府は転廃業政策による転職先として、特に航空機産業を重視していたというが、航空機産業における欠勤率は一五%(一九四三年四月)にもおよんでいたことにみられるように、転業者の労働意欲は向上せず生産に支障が生じていたのであり、労働力を強権的に動員・再配置しようとする政策の矛盾は明らかであった(「労働力動員と労働改革」)。
図4-5 東部国民勤労訓練所拝殿(記念絵葉書)
たましん地域文化財団所蔵