そのほか昭和戦前には、練馬大根の栽培が小平を含む北多摩郡北部でもさかんになった(近現代編史料集③ No.一四四)。小平において栽培がさかんになったのには、花小金井で漬物工場を経営していた中島漬物店の力も大きい。この店では親種(おやだね)制度という特定農家との契約栽培方式により、練馬大根の栽培を促進して、安定した収穫量を確保しようとしたのである。中島漬物店は、収穫した大根の大小に応じて販路を分散した。東京方面には小振りの大根を使い、関西方面には大振りの大根を使って沢庵を製造する、というように各地のニーズに応じた製品を販売したのである。また軍部の要請に対しては「早漬大根」を製造して需要に応えた(近現代編史料集③ No.一五四、「中島漬物店の思い出」)。
うど(独活)も小平の特産物である。干害に強く、武蔵野の地味に合い、小平では江戸期からつくられていた。昭和初期になると、うどの促成栽培に改良が加えられ、一年に約三千貫を東京市場に出荷するまでになった(近現代編史料集③ No.二六)。