財政の戦時化

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日中戦争勃発後の小平村歳出の推移をみよう。一九三七(昭和一二)年から三九年は七万円前後を推移し、一九四〇年の地方税制改革を受けていったん縮小したものの、アジア・太平洋戦争に突入後の一九四二年には再び膨張し一〇万円近くにのぼり、一九四三年には一三万円を超えた。
表4-5 小平村歳入・歳出決算
(単位:円)
 年度1937年1940年1942年1943年
経常部村税22,76155,71248,21972,944
使用料・手数料1,9641,9081,9272,027
交付金7651,9324,1563,824
国庫下渡金12,182
補助金5,68210,62823,17117,518
地方財政補給金13,766
寄付金3,35010,000
繰越金22,58024,75416,532
その他・雑収入5,040122,9133,146
小計62,13592,910  
臨時部寄附金200100
繰上充用費9,833
その他・雑収入250
小計10,283100
歳入計72,41993,010110,339124,730
経常部役場費10,31819,20126,55051,346
会議費302360469467
教育費34,40828,77552,23949,380
土木費1,1804556,0202,815
衛生費236530530
神社費480480508580
警備費6931,1672,6513,488
負担金1,4081,4963,0323,047
その他・雑支出2,0701,84914,03130,018
小計50,88253,789  
臨時部土木費602,385
衛生費120254
公債費1,026
補助費3,0302,380
経済更生費300300
納税奨励・滞納整理費2,5222,531
役場費700
繰上充用費4,052
雑支出・その他9,7236,223
小計21,53614,073
歳出計72,41967,863110,339134,780
(出典)「小平村会会議録」各年より作成。
(注)1942年、1943年は経常部・臨時部の区分なし。

 総力戦体制の末端機構として行政村が組み込まれていくなかで、歳出面には以下のような特徴があらわれてくる。第一に人件費の増加にともなう役場費の増加である。小平村では一九二七年の定数改正以降は六名体制で執務をおこなってきたが、戦時期の事務量の増加にともない吏員定数規定が相次いで改正された。まず一九三九年六月には、書記六名のほかに予算の定めるところにより雇人を置くことができるようになった(近現代編史料集① 七五四頁)。そして一九四〇年九月には、さらに業務が増加したことにより、書記補六名を置くこととされた(近現代編史料集① 七九二頁)。そして翌一九四一年六月には、収入役一名、書記八名、書記補八名に改正され(近現代編史料集① 八三〇頁)、一九四四年九月には、主事一名、書記一〇名、書記補一二名に改められた(近現代編史料集② 二四頁)。このようにわずか五年間で役場の吏員数はほぼ倍増した。
表4-4 小平村吏員数推移
 助役収入役書記書記補臨時雇合計
1923年01337
1924年01337
1925年01348
1926年01348
1927年01517
1928年01517
1929年01427
1930年01438
1931年01348
1932年01348
1933年01539
1934年01449
1935年01449
1936年01449
1937年10045
1938年114410
1939年116311
1940年1153414
1941年0174315
1942年1176217
1943年1177319
1944年11108222
(出典)「小平村会会議録」各年より作成。

 第二に教育費の比重の低下である。教育費が最大の費目であることは従来どおりであるが、後述する一九四〇年の地方税制改革の一環で小学校教員の給料は道府県によって支弁されることとなり、歳出中に占める割合は大きく低下した(国庫下渡金は道府県に交付)。その後、一九四四年に義務教育化した青年学校の教員給与が道府県負担となると大幅に減少した。
 第三に戦争関係の経費の増加である。従来の警備費は警防費と改称されたが、消防団が警防団に再編され、防空活動などが加わったため、その額は大幅に増加した。また表中では「その他・雑支出」と一括したが、戦争関係の歳出費目の増加がみられる。たとえば一九四二年の歳出では、戦時特別費として軍人援護相談所費、公葬費が計上されている。軍人援護相談所は応召された軍人の家族や遺族、傷病軍人の生活相談に応じる機関である。また公葬費は戦死した軍人の村葬にかかわる費用であり、一九三七年から年一回の村葬がおこなわれている。