一九三七(昭和一二)年二月に小金井村が町制施行したのに刺激され、一九三〇年代後半には小平村を含む北多摩郡内の村々では町制施行の機運が高まっていった。たとえば東村山村では、一九三六年に①道路や鉄道が発達していること、②農業者より商業者が多いこと、③東村山駅付近が市街地の様相を呈していること、④人口が一万人を超えていることなどを理由に町制施行にかんする意見書が提出され村会で議決された。しかし、東村山では屠場をめぐる疑獄事件のため村政が混乱し直ちに町制施行は実現しなかった。
そして一九四〇年の紀元二六〇〇年記念事業の一環として全国各地で町制・市制施行が実施される運びとなり、北多摩郡域でも町制施行にさらに拍車がかかった。一九四〇年には国分寺村、三鷹村、保谷村が相次いで町制を施行し、軍事施設が設置され人口が激増しつつあった立川町が市制を施行した(三多摩地区では八王子市に次ぐ市の誕生)。小平村では以下にみるような村政の混乱や前述の村税滞納問題のため町制施行は大きく立ち遅れ、一九四四年になってようやく実現した。
表4-8 近隣町村の人口の推移と町制・市制施行 | |||||
1930年 | 1935年 | 1940年 | 町制施行年 | 市制施行年 | |
田無町 | 3,937 | 4,341 | 6,261 | 1889年 | 1967年 |
立川町 | 13,511 | 20,388 | 33,849 | 1923年 | 1940年 |
武蔵野町 | 17,229 | 25,221 | 41,767 | 1928年 | 1947年 |
小金井村 | 6,129 | 8,416 | 12,650 | 1937年 | 1958年 |
三鷹村 | 8,218 | 11,810 | 24,247 | 1940年 | 1950年 |
国分寺村 | 6,454 | 7,242 | 9,324 | 1940年 | 1964年 |
保谷村 | 5,035 | 5,507 | 10,052 | 1940年 | 1967年 |
東村山村 | 9,462 | 9,934 | 11,402 | 1942年 | 1964年 |
小平村 | 6,558 | 7,041 | 8,674 | 1944年 | 1962年 |
(出典)『東京府統計書』1930、35、40年より作成。 (注)町村名は1930年時点、人口は各年10月1日時点。 |