小平町の誕生へ

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小野村長が村政に復帰し、一二月二四日の村議会において「小平村ヲ小平町ト為スノ件」が満場一致で可決された(近現代編史料集① 九四七頁)。「理由書」には以下の五点があげられた。
①北多摩郡のほぼ中央に位置し、村の中央には青梅街道が走り、田無、小金井などの七か村に接しているという地理的な条件
②戸数一八九五戸、人口一万五五九五人を擁している点
③陸軍経理学校、陸軍技術研究所をはじめとする軍事施設が多数存在している点
④東京商科大学予科、津田塾専門学校、拓殖大学予科という高等教育機関が存在している点(学生数合計一二二九名)
⑤村内の交通機関、特に鉄道が発達している点(村内に一一か所の駅があり、一五分ないし三〇分ごとに運行しており、一日の平均乗降客数六八七五人にのぼっている)。

 そして、諸施設の建設により「従来ノ農耕地ハ一変シテ各所ニ住宅街ト成リ、多摩湖線桜堤駅附近ニハ昨年住宅営団ガ軍部関係職員住宅ヲ約五〇〇戸ヲ建築セリ、尚小川駅付近ノ営団住宅モ目下建設中ニシテ、之ガ竣工の暁ハ模範的住宅街トシテ本村ノ面目ヲ一新スベク、従来ノ純農村ハ一躍シテ都市ノ体裁ヲ形作ラントシツヽアリ」という現況が記されている(近現代編史料集⑤ No.一一七)。
 直ちに町制施行にかんする書類が作成され、一九四四(昭和一九)年一月一五日に北多摩地方事務所に提出され、一月二六日に二月一一日(紀元節)を以て町制施行することが許可された(近現代編史料集⑤ No.一一八)。
 一九四四年二月一一日には小平青年学校で盛大な町制施行祝賀会が開かれた。役場関係者、町民のほか東京都関係者、近隣町村関係者約百名の来賓が出席し、浪曲、落語、歌謡曲などの余興が披露された。