囲い込まれる地域

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前述したように、日中戦争、そしてそれに続くアジア・太平洋戦争は、軍事力だけでなく、経済力や国民の精神力など、国家の総力をあげて戦われる総力戦であった。国家総動員法(一九三八年四月公布)は、すべての国民とあらゆる物的資源を戦争目的に有効活用するために、労働力や物資・賃金・資金・出版などの統制と動員を議会の承認なしに可能にする法律であった。また労働力と物資の動員計画を立案したのが、総理大臣直属の企画院であった。
 一九四〇(昭和一五)年頃になると、日中戦争の行き詰まりを打開する強力政治と総力戦体制の実現をはかるため、近衛文麿を先頭に新体制運動が展開され、それまでの議会主義や自由主義経済システムに代わって、「国民再組織」による政治力の強化と経済新体制(経済統制の強化)が目指された。総力戦体制の実現をつうじて国民生活の改善や不平等の是正を追求する人たちも、新体制運動に合流していた。新体制運動の結果諸政党は解党し、同年一〇月に大政翼賛会が設立された。大政翼賛会は、「国防国家体制」の政治的中心組織とされ、総裁は首相が兼任し、ナチスの指導者原理をまねた「衆議独裁」方式がとられた。都道府県、市町村に支部を置き、大日本産業報国会、大日本青少年団などの官製国民運動団体を結成して国民再組織を追求した。
 しかし一国一党の新しい政事結社を目指した新体制運動の理念は諸勢力の反対の前に挫折し、大政翼賛会は政治運動を禁止され、官僚主義的な上意下達をもっぱらとする巨大な行政補助団体となった。青年団や女子青年団など青年団体は大日本青少年団に、愛国婦人会、国防婦人会など婦人団体は大日本婦人会に統合され、大政翼賛運動のなかで組織された大日本産業報国会、農業報国連盟、商業報国会などとともに、これら官製国民運動組織は大政翼賛会の傘下に組み込まれ、また一九四〇年に設立が義務づけられた部落会町内会も翼賛会の下部組織となった。こうして地域と国民は官製の組織・団体の網の目に囲い込まれ、国策への「翼賛」と、統制・動員への協力だけが求められたのである。

図4-12 陶器の代用湯たんぽ
小平市所蔵

 ただし一九四二年一月、陸軍の指導の下に大政翼賛運動の実践部隊として新たに結成された大日本翼賛壮年団(翼壮)は、農村部で活発な活動を展開したことで知られる。小平村翼賛壮年団は結成直後から「未だ準備期を脱し切れない他地区の翼壮団を尻目」に、街頭紙芝居による翼賛選挙の啓蒙活動を独自におこなったり、多摩農村文化協会と共同して、出征兵士の留守家族の慰問のために演劇会を開いたり、その主体的で積極的な行動力が注目されていた(近現代編史料集③ No.一九七)。
 一方、古くから地域の消防を担ってきた消防組は、民間防空組織である防護団と統合して警防団となった(一九三九年一月)。警察署長から任命された団員たちは、地域の消防を担当するだけでなく、住民を防空活動に動員する役割を果たすことになった。同時に、田無警察署が管内の警防団員を動員して「スパイ狩り競争」をはじめとする「対謀略防衛演習」を実施したように(近現代編史料集③ No.二二三)、警防団は消防と防空という本務を越えて、住民を監視する警察補助機能までも担うようになっていった。
 そのほか、農事改良を推進した農会や農家の経営改善をはかってきた産業組合などの農業団体も、一九四三年に農業会に統合された。各村の農業会は、農家全戸加入を義務づけ、食糧増産を中心とする農業統制を推進した。