総力戦体制のもとで、資源や工業生産物は軍需に優先的に振り向けられた。また出征や工業への転出により農業労働力が縮小して食糧生産も低下するなど、国民の消費物資が欠乏した。そのため政府は配給制度により食糧・生活必需品の平等な分配をおこなうとともに、今までのくらしの無駄や不合理をなくす生活合理化や、贅沢を戒める消費節約を推しすすめて、それまでとは異なる「戦時生活」の確立を国民に求めた。こうして戦争の遂行のために、国家が国民のくらしに直接介入することによって、くらしの仕組みが大きくかわり、国民のくらしは国家に依存する度合いを高めた。
総力戦下の国民のくらしの仕組みにとって、町内会・部落会や隣組の整備は重要な意味をもっていた。政府は一九四〇(昭和一五)年九月、部落会町内会等整備要領(内務省訓令第一七号)を布告し、市街地には町内会を、農村部には部落会を組織し、同時にそれらの下部組織として一〇戸前後を単位とする隣組(隣保班)を編成して、全戸加入を義務づけた。隣組は、常会という会議や回覧板をつうじて、住民に対する国策の浸透に大きな役割を果たしただけでなく、生活物資の配給、金属供出や労務供出、国公債の購入や貯蓄の強制割当など、日常生活レベルでの生活統制や経済統制への協力を引き出すのに威力を発揮した。
とくに物資の配給に町内会・部落会や隣組が深くかかわっていたため、人びとは配給を受けようとする限り、それらの活動に非協力的であることや不満を述べることがはばかられた。他方、隣組でのかかわりをつうじてそれまでになかった近隣との生活上の協力やつきあいが生まれざるを得なくなった。隣組の活動は、地域における「共同」を作りかえ、あるいは新たに創り出したのである。
戦時生活は物資の欠乏感を分かち合うことでもあった。米穀通帳制による配給について新聞が「今後はこの通帳に準拠してお米の配給を受けるわけでこれからは買い溜めもなくいはゆる持たざるを憂へず、等しからざるを憂ふるということもなくなってこゝに全く食生活も安定」(近現代編史料集③ No.二九七)と説明したように、配給制度は生活水準を引き下げるものではあるが、平等な配分をタテマエとしている制度であり、結果として国民間の格差を平準化する機能をもった。国民服の着用が奨励されたことも、衣服の合理化・近代化であると同時に、階層間の服装の平準化であった(近現代編史料集③ No.二九五)。このように国民が平等に戦時生活を生き、階層間格差が平準化しているという感覚は、総力戦そのものへの不満を出にくくした。
戦時生活の平等性というタテマエは、国策に過剰に同調する人びとを生み出した。たとえばかぼちゃや麦への転作要請に従わずに隠れて西瓜を栽培した農家に対し、農業会は「その際は田無署と連絡してたとへ一個の西瓜でも敵作物として栽培者もろ共検挙する」と息巻き(近現代編史料集③ No.二三一)、東京市内から「闇」食料をもとめてやってくる「買出部隊を駆逐」するとして、翼賛壮年団は農家に不売の圧力をかけるとともに、駅で買出し客を摘発した(近現代編史料集③ No.二三〇)。戦時の平等というタテマエにもとづき、「闇」という利己的でホンネの行為をした者を「非国民」として排除することで、権力をふるう優越感に酔う人びとが横行したのである。
一方、戦時生活の実践においては、限られた物資や資源の中での創意工夫や、合理的な生活知識を身に付けることが求められた。たとえば一九四三年三月における常会徹底事項の一つは「電気ガスの節約」であったが、そこでは「全国の家庭で卅ワットの電灯を一時間節約すればその電気で飛行機二台分のアルミニウムが出来、またガスを一ヶ月一立方米づゝ節約すれば、それで貨車五百両の石炭が浮くのです」と説明された(近現代編史料集③ No.三〇一)。消費節約をただちに戦力と結び付ける点は、戦時生活の本質を表わしているが、「ガスメートルの読み方を覚えて割当量は絶対に厳守すること」とあり、ガスメーターを読む知識やそれを点検する習慣を身に付けることが求められていた。戦時生活の確立に向けての生活改良とは、やみくもな精神主義ばかりではなく、科学的知識や合理性に裏づけられた生活態度への規律化でもあったのである。