表4-13 小平村人口の推移 | ||
現住人口 | 1年あたり増加率 | |
1890(明治23) | 4,489 | |
1900(明治33) | 5,131 | 1.4% |
1910(明治43) | 5,618 | 0.9% |
1920(大正9) | 6,068 | 0.8% |
1925(大正14) | 6,000 | -0.2% |
1930(昭和5) | 6,092 | 0.3% |
1935(昭和10) | 6,581 | 1.6% |
1940(昭和15) | 7,323 | 2.3% |
1944(昭和19) | 15,595 | 28.2% |
(出典)『小平市三〇年史』より作成。 (注)増加率は過去5年ないしは10年間における1年あたりの平均増加率。 |
一九三〇年代になるとわずかではあるが、人口の漸増傾向が回復した。震災後も東京への流出は続いていたものの、一方で学園開発で住宅ができ、商大予科や津田英学塾の学生寮もできて、流入人口が増えた影響があらわれはじめたものと思われる。そして一九四〇年からの四年間では、戦時開発により総力戦関連施設が小平に建設された影響により、人口が二倍以上にふくれあがった。
以上のように人口の推移からみた限りであるが、近代の小平村は、人口移動が比較的少なく、基本的には定常的な農村社会であった明治・大正・昭和戦前期と、戦時開発にともない爆発的な人口増を記録して社会が流動化した戦時期、という極めて対照的な二つの時代を経験してきたといえる。
小平村の歴史を振り返る場合、人口移動がわずかで定常的な社会については、日常生活のなかの移動、すなわち生活圏の問題に視点を据えることにする。それに対して人口が激しく増えた戦時期については、社会変化の諸相を取り上げ、流入人口の性格や人口増の地域にとっての意味を考える必要がある。また「移動」という観点からするならば、人口統計にあらわれない個別の経験に視点をあわせる必要もある。たとえば小平の住民のなかには海を越えて中国大陸に活躍の場を求めた人もいるし、アジアの諸地域から日本に渡ってきて、小平に滞在した人たちもいる。ここでは彼らの移動の軌跡を追うことで、「アジアのなかの小平」という像を浮かび上がらせてみよう。