次に消費生活であるが、日用品は行商人や近在の店で、特別な買い物は市が立った田無、所沢、府中に出かけて購入した。田無は総持寺付近、府中は大国魂神社境内、所沢は航空新路の奥に市が立ち、農具や着物類が充実していた(『ちょっと昔』、近現代編史料集③ No.一二四)。酒は、小川二番の鈴木酒店で自家醸造の「富久浦(ふくうら)」のほか、関西銘柄の酒も売られていた。その他、天秤棒を担いだ振り売りの豆腐屋、金魚屋、ドジョウ屋、下駄の歯入れ屋、「さんまこーい」のかけ声の魚屋、「毒消し売り」、「飴屋」などもやって来た(『ちょっと昔』)。
逆に小平に買物にやってくる人もいた。小川四番の慶徳屋は、一九四四年に店じまいするまで、長年にわたり近在から多くの買い物客を集めたことで知られていた。慶徳屋はいわゆるよろず屋で、薪炭・石炭・石油の燃料から米・麦・味噌・醤油・油・酢・乾物・缶詰などの食料品、衣料品、筆墨・紙などの文房具、石鹸・紅などの化粧品、行李(こうり)・笊(ざる)などの竹製品、養蚕具など、何でも豊富に揃っていた。そのため商圏は広く、北は所沢・入間・清戸・秋津、東は田無・保谷、西は青梅方面、南は府中、染谷、さらには多摩川を越えた方面からも客が絶えなかったという(『郷土夜話』その一)。また小川四番の小川石材店は、田無、箱根ヶ埼、東村山、東久留米、国分寺まで一帯がお得意さんであったという(『そのとき小平では』)