小平は近世以来、江戸の地回り経済圏内に位置し、一八九四(明治二七)年には行政区画上も東京府に編入された。江戸を起点とする街道や東京市に向かう鉄道も近くを通っており、将軍のお膝元・江戸や近代国家の首都・東京の影響力のなかに包摂されてきたことはいうまでもない。
しかしながら小平のあゆみは、そうした巨大都市の影響力に一方的に規定されていたわけではない。ここでみてきたように、小平地域にとって意味のある地域圏とは、住民の生業と生活の諸局面に対応して、府中圏であり田無圏であり、はたまた所沢圏であり八王子圏であったりしたわけで、小平村住民は各地域圏の中心的な町場の政治・経済・文化に規定されつつ、それらと関係を結び、小平を起点とするみずから独自の生活圏をつくりあげていったといえる。