出征や従軍によって、多くの人びとが小平から戦場へと「移動」していった(第二章第三節、第四章第三節5参照)。その実態はどのようなものであり、戦場で人びとは何をみて、何を思ったのであろうか。
第八章で詳しく紹介するように、小平では一九九五年に「小平・ききがきの会」がつくられ、聞き取りの方法を活用して、小平にくらす人びとに、戦時の小平のようすや戦争体験を聞き、記録する作業を重ねてきた。そのなかにはもちろん、出征や従軍によってアジアを移動し、戦場を生き抜いた人びとの貴重な証言が含まれている。
それらによれば、日中戦争からアジア・太平洋戦争にかけて、兵士たちは朝鮮半島、中国大陸、南方(東南アジア)、南洋(太平洋)の島々へと、船、列車、自動車、馬車、徒歩などさまざまな手段で、実に長い距離にわたって移動していったことがわかる。疲労、緊張、恐怖、残酷、極寒、熱暑、飢餓……。移動するなかでは、過酷な戦場を体験するとともに、現地の人びととさまざまな形で交流をもった。同時に彼らは戦場で現地の人びとを苦しめる日本軍の頽廃(たいはい)した姿にも直面した。証言のなかには、南方の島に朝鮮人慰安婦がいたことや、満州で日本人と朝鮮人の女性がいる慰安所を見たことに触れているものがある。
苦難の日々を生き抜き帰還することのできた人びとは、こうした戦場体験・アジア体験をかかえこみながら「戦後」を生きた。戦後五〇年以上経ったとき、彼ら証言者たちはさまざまな思いを込めて、インタビュアーにそれを語った。ここでは小平・ききがきの会が聞き取った証言に依拠しながら、小平の人びとの戦地での移動とアジア体験をみてみよう。