旧軍用地の解放を

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さて、戦時開発地の解放をいちはやく求めたのは、陸軍によって強引に耕地を接収された農家であった。一九四五(昭和二〇)年一〇月、小平町長と小平町農業会長は連名で、宛先の詳細は不明であるが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内のいずれかに対し「嘆願書」を提出した。そこでは陸軍が戦時中に接収した土地を元の所有者に払い下げるよう、日本政府に対して指令を出すことを求めていた(図5-1)。まず、戦時中の強制的な接収により農地を失った結果、農業の継続が困難となって、転業のやむなきに至った農業者の「心境」を訴え、加えて返還されるべき理由として、農地の払い下げによって復員者に生業を与えることができること、食糧増産によって食料問題の打開に貢献できる点をあげ、買い上げ当時の価格で払い下げられるべきことを訴えていた。また、同年一二月には町長と農業会長は大蔵省に対し、耕地として使用するためとして、陸軍経理学校、陸軍技術研究所、多摩通信所の敷地の一部の貸与を求めている(近現代編史料集⑤ No.一二四)。

図5-1 旧軍用地の払い下げに関する嘆願書 1945年10月
小平市立図書館所蔵

 さらに小平町農業会長は別の「嘆願書」(東京都経済局特殊物件処理部長宛)を提出して、陸軍経理学校の土地と建物の一部の払い下げをうけて「建築物は住宅並公民館施設に改廃使用」するとした。この「嘆願書」に添えられた「使用目的計画書」では、公民館に転用する建物に「演劇場、農民組合事務所、青年倶楽部、図書室、会議室」を設けるとし、また住宅は「アパート式小住宅とし、朝鮮引揚帰農者、町内在外引揚帰農者及国内戦災者にして家族数小なる者を優先居住せしむ」としている(近現代編史料集⑤ No.一二八)。また別の文書では払い下げ要求をした軍施設の建物の利用法として「新制度の中学校、高等学校、公民館、教職員住宅等に充当」すると説明していた(近現代編史料集⑤ No.一三二)。
 以上にみるように、陸軍に接収された土地の返還・払下げを求める地域の動きは、なによりも、戦時開発のもとで強引に奪われた先祖代々の土地を取り戻したい、という心情を根拠としていたことはいうまでもない。同時に払い下げを受けるべき土地・建物の利用法として、①深刻化する食料問題の解決のための耕作地とすること、②引揚者・復員者への住居と生業を提供すること、③地域の民主化の拠点ともなるような公民館をつくること、④新しい教育制度のもとで不足している校舎に転用すること、をあげており、旧軍施設・用地の転用によって、地域が抱えていた問題の解決をはかることが、土地の返還・払い下げの根拠としてあげられていたのである。たしかに、それらの問題はいずれも、敗戦後の地域社会が抱えていた深刻な問題なのであった。