農地改革の実施状況

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GHQの指令によって開始された戦後改革において、経済民主化の重要な柱と位置づけられたのが農地改革である。農地改革は、戦前以来の地主的土地所有を解体し、自作農経営を広範に創出した点に歴史的意義があった。一九四六(昭和二一)年一〇月、農地調整法改正と自作農創設特別措置法にもとづき実施された農地改革の主な内容は、不在地主の全小作地と一町歩(北海道四町歩)を超える在村地主の小作地を国家が強制的に買収し、それを小作農民に売り渡すというものであった。その結果、一九五〇年までに約二〇〇万町歩(全小作地の八〇%)が開放され、小作農の大部分が自作農へと変化した。改革前に日本全国の農地の四六%を占めていた小作地は一三%に激減している。
 当然のことながら、農地改革は小平町の土地所有状況を大きく変えることになった。改革前の一九四六年四月時点における小平町の農地総面積は畑九九〇町八反九畝となっている。うち自作地五一六町六反四畝、小作地四七四町二反四畝で、農地の四七・九%が小作地であった。一方、改革実施後の四九年三月時点では、自作地八八二町八反九畝、小作地一〇〇町四反三畝となり、小作地の割合は一〇・二%に減少した(「農地等開放実績調査」)。田がほとんどなかった小平町では、農地買収の主な対象は畑となっている。小平における耕地利用の特質をよくあらわしていよう。
 小平町の農家構成にも大きな変化がみられた(表5-1)。改革前に四五・二%を占めていた小作農は、改革後には一二・五%に減少し、自作農が二三・四%から五七・一%へと増加した。小平町の農家の大多数が自作地に経営の基礎をおく自作農・自小作農になったのである。なお、農家総戸数の増加は、農地改革の影響に加えて、復員・引き揚げ・帰村など敗戦後の人口増加・食糧不足を背景とした耕地分与や開墾によって新設された農家がみられたことに基因している。
 
表5-1 農家構成の変化
(単位:上段・戸、下段・%)
年次\階層自作自小作小自作小作その他
1946年19210411437039819
構成比23.412.713.945.24.8100.0
1948年63022866138411103
構成比57.120.76.012.53.7100.0
(出典)『小平町誌』1959年より作成。