農地委員会の活動

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農地改革の実施に際しては、都道府県・市町村別に農地委員会が設置された。市町村農地委員会は、当事者の意思に関係なく小作地を大量かつ公平に開放するという方針のもと買収計画を立案し、これが都道府県農地委員会で承認されると国がその計画にもとづき小作地を買収した(売渡計画も同様)。農地委員の構成(定数一〇名)は、小作五名、地主三名、自作二名というように階層別に選出され、その半数を小作階層委員が占めるものと定められた。一九四六(昭和二一)年一二月二二日、農地委員の選挙がおこなわれ、以後、改革が実行に移されることになった。
 表5-2は小平町の農地委員である。選出された委員は階層別に、小作八名、地主五名、自作三名の計一六名となっている。通常の委員定数よりも多くなっているのは、農地面積・農家戸数が大きい市町村には定数の増加が認められていたためである(『農地改革執務参考』第二三号)。これは、北多摩郡のなかでもっとも農地面積が大きかった小平町の特色であり、同郡ではほかに昭和町のみが増員をおこなっている(『東京都農地改革資料 (2)』)。委員の出身地区をみると、小川が多くなっているものの、各地区から選ばれているのがわかる。事前に各階層・各地区ごとに話し合いがおこなわれたと考えられる。小作代表はほとんどが一町歩以上の経営層でなかには二町歩以上の経営層も含まれていることから、町内でも比較的上層の小作農が委員に選出されたことが読み取れる。一方、地主代表には小平町最大の在村地主(三二町歩所有)の名前が確認できる。会長には自作代表で最年長の佐藤亀作が就任した。このほか農地委員会では、会の運営や膨大な改革事務を担当する書記を四名雇用している。書記の学歴をみると、中学校卒三名、専門学校卒一名であり、当時の教育水準からすれば、町の知識階層から採用されたことがうかがえる(「農地等開放実績調査」)。
表5-2 農地委員一覧
(単位:町)
氏名階層地区年齢所有面積経営面積
関根惣八小作小川4602.1
若林金五郎小作小川510.32.4
新井豊治小作小川4101.6
栗原九一郎小作小川新田5400.8
荒井種次郎小作小川5701.7
鈴木馬五郎小作大沼田新田5101.3
斎藤市太郎小作鈴木新田510.11.5
斎藤勇輔小作鈴木新田470.11.5
立川平十郎地主小川493.01.3
荒井正八郎地主小川3432.01.3
吉田孝治地主小川新田471.50.8
宮崎利喜地主大沼田新田618.01.6
斎藤嘉一地主回田新田452.61.8
神山正作自作小川482.22.2
佐藤亀作◎自作野中新田713.01.9
田中健助自作小川新田550.50.5
(出典)小平町農地委員会「農地等開放実績調査」1950年より作成。階層・地区については、小平町農業委員会「昭和二十一年以降農地委員農業委員名簿綴」による。
(注1)氏名欄の◎印は会長。
(注2)所有面積・経営面積は改革実施前のものである。

 農地委員会の主な活動は農地の買収・売渡の事務であったが、これに先立って実施されたのが農地一筆調査である。改革を厳格に実施するためには、全農地の一筆ごとの自作地・小作地、在村地主・不在地主、農地・非農地の別を、買収基準日の四五年一一月二三日の状態に合わせて正確に把握しなければならなかった。そのため、改革事業を末端で担う部落補助員が必要だったのであり、小平町では全部で三三名の補助員が各区から選ばれた。そして、農地委員と補助員の協力のもと、個々の農地にかんする正確な所有・耕作状況の把握に努め、農地台帳の整備を着実に進めていった。