小平町の農家数は、一九五〇(昭和二五)年に一一三〇戸で、一九三九年の七七二戸と比べると五八戸増加している。これは敗戦直後の食糧難や引揚者への対策で開墾が奨励されて、入植や分家が増えたためである。ところがその後、五五年に一〇〇四戸、六〇年に八八三戸と推移する(以下、「農林業センサス」)。一九五〇年代前半と後半でそれぞれ一一〇戸程度減少したことになる。
専業農家数は、五〇年に七〇七戸、五五年に五一九戸、六〇年に四〇四戸、兼業農家数は同様に四一一戸、四八五戸、四七九戸であった。専業農家数は、一九五〇年代の一〇年間で五七%までに減少し、特に五〇年代前半にその多くを減らしていた。兼業農家数に大きな変化はないが、専業農家数が減少したため、総農家数における兼業農家数の割合は、三六・七%、四八・三%、五四・二%と高まった。
一方、経営耕地面積をみると、同様に九〇〇ヘクタール、八九三ヘクタール、八二〇ヘクタールとやや減少し、農家一戸当たりの耕地面積は八〇・五アール、八八・九アール、九二・九アールとやや増加しているものの、一九五〇年代をつうじて大きな変化はみられなかった。農家がもつ経営耕地規模別にみると、一番比重が大きかったのが一九五五年、六〇年ともに「五反以上一町未満」(それぞれ二九・三%、二一・三%、『東京都統計年鑑』)で、次に大きかったのが同様に「一町以上一町五反未満」(二九・二%、二二・七%、同上)であった。三多摩地域の農家の平均経営耕地面積は六反程度であることから、小平町の農家の経営規模は、比較的大きい方に位置していたといえる。