一九五三(昭和二八)年六月一八日、立川基地から飛び立った米軍輸送機グローブマスターが、小川の農地に墜落した。乗員一二七名が死亡し、畑は一面火の海と化した。麦畑やすいか畑で作業していた人びとのなかには、「全身に油をあび火だるまになった」者もいた。修羅場と化した光景に付近の人びとは全く手の施しようがなく、ただ呆然とするのみであった。かけつけた地元小平町の消防署および消防団の放水では「効果は殆んど見られなかった」(「飛行機墜落事故書類」)。
急報により立川基地からの消防車や救急車、それに地元消防団、遠くは青梅、五日市、所沢からも数十台の消防車がかけつけた。必死の消火活動にもかかわらず、猛火は一時間以上もおさまらず、乗っていたはずの人影はなかった。
乗員の生存者皆無、梅雨続きの雨の中、四散した機体が青白く光っていた。巨大な尾翼が地中に突き刺さったままである。やがて「人間かどうか」見分けがつかない「黒焦げ」の遺体が掘り出され、「なきがらを乗せた数十台の米軍救援車は前後をMP(憲兵)のジープにまもられ、暗やみの青梅街道を一路立川基地へ運ばれた」(近現代編資料集③ No.四六六)。