「ギャラップ・ゴー」

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直径約二キロの地区内は米軍のMPが厳重に交通をしゃ断し、すぐさま「ギャラップ・ゴー」の立ち入り禁止の麻縄のロープが張られ、日本側警察、消防団は現場より立ち退きを強いられ、MPが銃を突きつけ、住民を追い払った。報道陣も写真を撮ろうとするとピストルで脅され、フィルムを抜き取られる始末であった。その範囲は三街道にもおよんだ(近現代編資料集③ No.四六六/No.四六八/No.四七三)。米軍のMP、部隊、AP(空軍憲兵)、救急車、消防車、照明車、クレーン車、トラック、ジープ、ブルドーザーは、付近の公道および私道より畑中を往来し、農作物並びに橋梁、井戸、門柱などに被害をおよぼした(「米軍輸送機墜落に関する記録」)。

図5-13 上空からみた事故現場
小平市立図書館所蔵

 このやり方に住民からは「日本の独立は名ばかりだ、行政協定があるのに占領時代と同じではないか、日本の警察官が遠慮して消極的すぎる」(近現代編史料集③ No.四六八)などの非難の声があがった。それを受け、衆議院外務委員会で地元選出の代議士並木芳雄が抗議の声をあげた(近現代編史料集③ No.四七三)。