小中学校の校舎建築と失業対策

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戦後、小平町のもっとも大きな財政的課題は、小中学校校舎の建築費の捻出にあった。都営住宅の建設等によって人口が増加し、加えて義務教育六三制が施行されて、町内の小中学校では教室不足、二部授業問題が深刻化した。その解決に向けて、小中学校の校舎増築、または分校・新設校の用地買収や校舎建設が急務となっていた。
 一九四八(昭和二三)年六月の第五回小平町議会では、「町債を起すの件」(近現代編史料集② 二二〇頁)が決議される。起債の目的は、小平第一小学校、小平第三小学校、小平中学校の校舎建設、増築費の充当であった。総工事費を七五〇万円と見積もり、寄付金四五〇万円、国庫補助金五〇万円、そして町債二五〇万円でまかなうこととした。町債の借入先は大蔵省預金部で、借入年度は一九四八年度、償還期限は一九四九年度より一九五七年度までの九か年賦元利均等償還(借入利率は年四分以内)とした。当然のことながら町が進んで起債するわけではなく、校舎建設、増築費のような臨時的で大規模な事業を一般財源で対応すると、経常費を逼迫(ひっぱく)するためにやむを得ない措置であった。
 その後、学校建築費を名目とした町債は、借入先を大蔵省や郵政省として、一九五二年度に五〇万円、五三年度に三四〇万円、五四年度に九九〇万円と起債額を増加させながら続けていく。
 こうした建築事業にかかわって、一九四八年六月五日、田無自由労働組合小平支部の土工、大工、井戸職たち九四名は、「たとい如何なる方法によりて如何なる者が工事を請負ことになりましても、私達小平町居住の労務者を利用せられ、之が工事の施行に当らしめられる様万障を排して御計らひ下されん事」(近現代編史料集② 二二六頁)を請願している(表5-6)。町議会では同月一四日にこれを採択して、地元の建築事業において町民を優遇して仕事を分配するようにした。
表5-6 請願者の職種
土工22名
大工19名
井戸職10名
屋根職8名
左官7名
石工6名
鍛工職6名
荷扱夫5名
建具職5名
鳶職2名
瓦職2名
緑地1名
水道工1名
94名
(出典)小平町役場「昭和二十三年会議録」より作成。

 その後、小平町では失業対策もあわせる形で、町内の公共事業を進めている。一九五三年七月二五日の『小平町報』第一二号では、町内の失業者に対して、職業安定所に登録したのち、町道整備事業に参加するよう伝えている。