一九五六(昭和三一)年三月の町議会では、「都市化対策」を重点に置いて同年度予算を編成した。小金井町・国分寺町との新市合併の延期を決定して、消防や病院の運営について三町で連携する必要はあるものの、都市化によってもたらされる諸課題に自前で対応していかなければならなくなった。
一九五七年度の予算では、これまでの学校建築事業に加えて、道路と排水の整備事業が重点行政としてあげられるようになった。町内の住宅建設が進むにつれて、以前は利用度の少なかった道路・排水路も改修が必要となってきた。
同年度の主な道路整備事業では、町道の累計路面面積の約二五%を補修し、中宿、学園地域において簡易舗装をおこなった。翌五八年度予算では、町道の路面累計面積の約二〇%の補修、多摩湖線沿い道路の幅員拡張(青梅街道―鷹の街道)、回田道の舗装が計画された。また、同年の追加予算でも、損傷が目立つ桜上水、学園地区内の町道の補修、雨雪で落下した回田新田地区の田無用水架橋の修繕が計上されるなど、道路関連の土木事業は盛んにおこなわれていった。
道路の整備事業とあわせておこなわれたものに、排水路の整備事業がある。一九五六年度、桜上水地区において仙川へ接続する排水路の整備が着手される。続いて翌五七年度には、桜上水地区のほか、花小金井地区、学園地区でも排水路整備事業がはじめられた。
一九五七年五月の小平町財政公表では、こうした道路、排水路の整備によって増える財政支出の一方で、町役場のサービス、病害虫駆除などの事業が縮小傾向にあること、税負担が増加していることへの町民の理解を求めている。