三町合併の不成立

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このような反対運動に、三町の町長や議長は混乱回避を理由にして合併延期の方針を強め、一九五五(昭和三〇)年一月三一日には、合併協議会の三委員から「協議会無視の行為」との批判が出されたが、合併問題を棚上げすることに合意した(近現代編史料集③ No.四二四)。そして町議会も二月二日時期尚早との「三町合併延期声明書」(『小平町報』第二一号)を出し、二月五日には三町合併協議会そのものを解散してしまった(近現代編史料集⑤ No.一六八)。
 こうして小平町における三町合併の動きは、半月ほどの強硬な反対運動に遭遇したことで、水泡に帰した。以後、小平町議会で合併問題が再浮上することもあったが、三町はそれぞれ「必然的都市化への順応態勢を整え」(「三町合併延期声明書」)、独自の市制を実施することになった。

図5-16 町村合併の問題を伝える『小平町報』特輯号 1954年9月5日