編さん委員や編集委員には地元の郷土史家以外に明治大学をはじめ外部から多数の研究者を集めており、この点でも『小平町誌』は先進的であった。
この町誌編さんのきっかけは、一九五一年の早春に小川愛次郎(一八七六~一九七一)宅に江戸時代の名主文書が埋もれていることを知った伊藤好一(明治高校)が、同学の宗京奨三(明治大学)と木村礎(同)らを誘い、来訪したことにある(「あとがき」『小平町誌』)。その後、学生(明治大学文学部・明治高校・明治中学校生を含む)なども加え、調査を積み重ね、目録や史料集を作成する段階にまで達した。そこで小川家当主の愛次郎が、町制施行一〇周年にあたることもあり、町誌編さんを町長小川睦郎に進言し、町議会の賛同をえて、一九五四年三月から正式にはじまった。
調査は、全体を四班に分けておこなわれた。歴史班(調査担当・宗京・木村・伊藤など)、地理班(渡辺操・松田孝・内田実など)、社会学班(泉靖一・蒲生正男・大給近達など)、建築班(徳永勇雄・浦良一など)であった。多数の学生が動員され、合宿調査での文書整理・解読、アンケート調査、古老からの聞き取りなどが精力的におこなわれた。
そのほか同時期に進行していた小平町内の小中学校教員による小平教職員協議会委員会の活動も見逃すわけにはいかない。彼らは、戦後新しく導入された民主主義を担う教科として導入された社会科のために地元郷土史家(土士田弥一など)と接触し、「小平町史研究会」を一九五一年六月四日に立ち上げた。そして小平の歴史を教材化するために小川愛次郎宅(一九五一年七月二一日)などで研究会を開き、郷土史年表などをつくり(一九五二年六月)、授業に生かした(『会誌』第一号)。この教員の活動も『小平町誌』編さんには欠かせないもので、会員の伊藤小作(小平第一中学校)や小貫隼男(小平第一小学校)、生原肇(小平第一小学校)、近内信輝(小平第四小学校)らが町誌編纂委員に加わった。
表5-10 近隣自治体史における民俗分野の動向 | |||||
書名 | 刊行年月 | 主な監修・編者 | 民俗分野の調査・執筆担当者 | ||
杉並区 | 杉並区史 | 1955年3月 | 柳田国男 | 瀬川清子 | 柳田門下の民俗学者 |
小平町 | 小平町誌 | 1959年3月 | 木村礎・伊藤好一・泉靖一 | 蒲生正男・大給近達・川田順造・田代明徳・須江ひろ子・原忠彦ほか | 明治大学・東京大学などの社会・文化人類学者 |
八王子市 | 八王子市史 | 1963年3月 | 真上隆俊 | 佐々木内蔵助ほか | 地元の研究者 |
大和町 | 大和町史 | 1963年11月 | 伊藤好一・水野祐 | --- | 民俗編なし |
立川市 | 立川市史 | 1969年1月 | 水野祐 | 鎌田久子 | 柳田門下の成城大学の民俗学者 |
武蔵野市 | 武蔵野市史 | 1970年3月 | 大場磐雄・児玉幸多・関島久 | 坪井洋文 | 國學院大学の民俗学者 |