新田村と地縁組織

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町誌の内容についてもう少し詳しく述べるならば、まず近世史の充実をあげることができる。その骨格には、編著者である伊藤好一や木村礎の新田開発研究が位置づけられていた。まず一七世紀後半にひらかれた小川村や、一八世紀前半にひらかれた小川新田・大沼田新田・野中新田・鈴木新田・廻り田新田など、小平にかつてあった新田村々の開発事情と特徴が詳しく記述されている。そして、一八世紀後半以降から目立ちはじめた生産の高まりと、これに応じた商業の発達にともない、在郷商人が急速に成長して村の新たな有力者となり、開発当初の村々のすがたが変化していくようすが示されている。これらの叙述は、新田開発や江戸周辺農村をめぐるその後の研究に大きな影響を与えた。

図5-17 木村礎から小川町長に宛てたはがき
『町誌編さん関連資料』 小平市立図書館所蔵

 次に現代編の充実であろう。「第三編 現代の小平」で、全体の半数近くの頁数が費やされている。なかでも注目すべき点は、「第九章 社会の組織」で、東日本一般に広がっている同族組織が小平では発展せず、地縁による社会であるとの知見を示したことにある。これは蒲生正男らの社会人類学の考察によるところが大であった。すなわち「どのイッケ〔同族組織――引用者注〕に属するか、あるいは出身がどの村であるかということよりも、どの近隣仲間に属するかということこそ家と家との関係としてより重要」(『小平町誌』)だという指摘である。
 第四編の民俗の叙述においても、川田順造らは文化人類学的手法をとりつつ、聞き書きによって、現在を起点に過去へさかのぼりながら農家の生活ぶりを描き、ムラの共同性や人の一生(冠婚葬祭)信仰を描いた。また建築班は、現存する家屋の構造やすまい方をとおして生活や生業(主に養蚕)のあり方、家族のくらしぶりを考察した。