戦後の人口

426 ~ 427 / 861ページ
アジア・太平洋戦争期より人口の増加が続いていた小平は、一九四四(昭和一九)年二月一一日に町制を施行した。人口一万一八九三人、一八七九世帯の小平町が誕生した。終戦後、疎開者や軍の施設の関係者らが転出したために、僅かに人口が減少したものの、すぐにまた漸増に転じた。一九四七年に住宅営団によって建てられた旭ヶ丘住宅や翌年に建てられた鷹の台住宅(第一都営)をはじめとして、次々に住宅ができ、毎年、三〇〇から五〇〇世帯ほどの新しい家族が移住してきた。出生率はかならずしも高いわけではなく、四七年は三四・一(人口一〇〇〇人に対して)で東京都よりも若干高く全国とほぼ同じであった(『小平町誌』)。
 一九五〇年一〇月一日、戦後初の「常住地主義」による大規模な国勢調査が実施された。「常住地主義」とは住民票の有無にかかわらず、常任している人びとを調査するものである。人びとの就業状態はもちろん、学歴や家族形態など詳細なデータを収集したこの調査をみると、戦後五年を経た小平のようすがよく映しだされている。
 人口は男一万九四六人、女一万七一三人、四二五三世帯で、町制施行時より一万人ほど人口が増加していた。隣接する小金井町(二万二六〇四人、四七七四世帯)とほぼ同じ人口規模であったが、両町の世帯主が就業している産業をみると、小平町では農業が二三%で製造業が一三%であるのに対し、小金井町では前者が一三%で後者は二五%とほぼ逆転していた(表5-11)。小平町の農業就業者の割合は北多摩郡全域の割合よりも高く、働く女性二四〇〇人のうち、半数が農業に従事しているなど、都市近郊の農村であったことがわかる(表5-12)。
表5-11 就業中の世帯主の産業
 小平町小金井町北多摩郡
    
就業者世帯合計3,637 3,890 61,778 
農業83723.0%52913.6%11,14618.0%
林業10.0%00.0%180.0%
漁業・水産養殖業00.0%20.0%210.0%
鉱業50.0%60.0%2080.3%
建設業2025.6%2747.0%4,4937.3%
製造業50513.9%99425.6%12,80320.7%
卸小売業3499.6%47712.3%7,56612.2%
金融・保険・不動産業782.1%1153.0%1,2482.0%
運輸・通信・公益事業2567.0%3318.5%4,4567.2%
サービス業71019.5%63816.4%10,29616.7%
公務68718.9%50613.0%9,23114.9%
その他70.0%180.5%2920.5%
(出典)1950年国勢調査「世帯主の労働力状態及び産業別一般世帯数」より作成。

表5-12 就業者の産業別・男女別割合
 小平町小金井町北多摩郡
 
農業27.9%49.5%15.8%29.5%21.2%39.3%
林業0.0%0.0%0.0%0.0%0.0%0.0%
漁業・水産養殖業0.0%0.0%0.0%0.0%0.0%0.0%
鉱業0.1%0.2%0.0%0.0%0.3%0.1%
建設業5.3%0.4%7.5%1.7%7.5%1.5%
製造業14.2%7.9%25.9%17.8%21.0%14.2%
卸小売業8.4%8.6%11.0%14.6%10.6%13.6%
金融・保険・不動産業1.8%2.2%2.5%2.6%1.7%1.9%
運輸・通信・公益事業7.3%2.0%9.5%2.4%7.9%2.2%
サービス業18.5%23.5%14.1%24.8%14.9%21.1%
公務16.2%5.7%13.1%6.1%14.3%5.7%
その他0.2%0.0%0.4%0.0%0.4%0.3%
(出典)1950年国勢調査「産業及び男女別14歳以上就業者数」より作成。

 ここでは表示していないが、小平町の一五歳以上の女性の未婚率が五五%で、小金井町もほぼ同じ割合であったが、東京都全体の三〇%と比較するとかなり高い。男性の場合も同様に小平町も小金井町も未婚率が六〇%余りで、東京都全体の四一%よりもかなり高い。男性の数は、戦前は軍事施設があった関係で女性に比して非常に高い割合であったが、この時期にはほぼ均衡を呈している。