小平町報からみた人口増加

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一九五一(昭和二六)年七月一日、小平町報が発刊された。町政を町民に知ってもらい、「理解と協力」を得るために、町行政のあり方を適宜に知らせ「町当局と町民の皆様の間を密接に」しようという町長の考えにもとづいていた(『小平町報』第一号)。
 町報は、二か月から三か月に一度のペースで発行され、町の財政状況や衛生や教育、子育てにかんする情報、町の行事の記録などが毎号盛り込まれていたほか、一九五九年八月までは毎号、発行日の前月の出生数や死亡数、流入・流出数などの人口動態を掲載している(表5-13)。
表5-13 町報に掲載された人口動態数一覧
(単位:人)
町報号数年月月初人口転入出生出生/月末人口転出死亡月末人口
21951年8月23,1361,186450.19%1,2241123,132
3 11月23,868838440.18%3351124,440
4 12月24,4041,130430.18%1,3941724,166
552年3月24,247748470.19%9112224,109
6 5月24,626989310.12%7162924,901
7 7月24,613662350.14%7271624,567
8 9月23,5891,026340.14%7211023,918
9 11月24,003652280.11%3701224,301
1153年4月23,9301,273420.17%6641124,570
12 6月24,007465270.11%4701224,917
13 9月24,843759360.14%4841025,144
15 11月25,088935300.12%2631725,904
1654年3月26,282760430.16%9642626,095
17 5月26,987697330.12%4391527,263
18 7月27,439624360.15%8301524,204
19 10月27,640758490.18%5161127,920
20 11月27,920614410.15%579827,988
2155年1月28,141541550.20%5612028,156
22 3月27,862548420.15%1,0891927,344
23 5月28,049714480.17%6061828,187
24 7月28,274476380.14%6721328,148
25 10月28,6701,013300.10%4811229,220
26 12月29,487803550.19%6142429,707
2756年3月30,2201,005470.16%1,2161630,040
28 5月30,700946310.10%6221431,041
29 8月30,961875620.20%5094031,349
30 10月31,8221,027530.16%5571032,335
31 12月32,42167400.12%4921932,625
3257年3月32,841706460.14%1,2381732,338
33 5月33,592884730.21%5461533,988
34 8月34,2081,303370.11%4931035,045
35 10月35,201958450.13%641935,554
36 12月35,758767490.14%5491336,012
3758年3月37,1971,557510.14%1,2032437,578
38 5月38,6651,290610.15%5291939,468
39 7月39,795771460.12%8631239,737
40 9月40,320744610.15%7131240,406
41 11月40,850735680.17%5711841,064
4259年2月41,668980720.17%5691542,136
43 3月42,136887770.18%1,2111341,876
44 4月41,8761,740670.16%9391242,732
45 5月42,7321,157700.16%5931943,347
46 6月43,347959660.15%7312443,617
(注1)10号は1952年1月~53年1月までのデータを掲載。14号はデータの掲載なし
(注2)数字は原表通り

 各月の転入数と転出数にはばらつきがあるものの、確実に転入数の方が大きくなり、人口増加のようすがわかる。出生数については一九五〇年代半ばまでは実数の変化が少なく、それぞれの月末人口に対する出生数の割合では、むしろ減少の傾向を示していた。しかしながら、一九五〇年の〇歳から四歳児の人口が二九六一人であったのに対して一九五五年の五歳から九歳児の人口が三四八九人となっているのは、他所で出生後に転入してきている子どもが多かったことにほかならない。この傾向は、一九六〇年までの五年間にさらに顕著となっていく。
 一方、死亡数については、その実数そのものの変化がないことが特徴で、当然割合は低くなっている。この間における衛生・医療事情の好転が背景にあるのではないだろうか。
 小平の人口増加は、自然増よりも転入数と転出数の差からくる社会増が大きく、高度成長にむかって増加の幅がますます広がっている。町報では、急激な人口増加や宅地化に追いつかない学校やインフラ整備の窮状への「理解と協力」が繰り返し訴えられていた。