西武鉄道と「小平学園駅存置の為の陳情書」

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一九四五(昭和二〇)年九月、武蔵野鉄道株式会社(池袋駅―吾野駅、国分寺駅―狭山公園前駅、萩山駅―本小平駅)は(旧)西武鉄道株式会社(高田馬場駅―川越駅、東村山駅―国分寺駅)とその関係会社である食料増産株式会社(一九四四年一一月、都民のし尿処理と武蔵野鉄道と西武鉄道沿線の山林・原野の開墾事業を目的に設立)を合併して西武農業鉄道株式会社となり、同年一一月に西武鉄道株式会社と改称した。武蔵野鉄道とともに西武鉄道では東京都の委託を受けて一九四四年六月から五三年三月まで糞尿輸送を請け負っており、東小平駅(一九四〇年開設、四四年八月旅客業務停止、五四年廃駅)西側にはし尿貯溜槽が設置されていた。
 し尿輸送も担当していた西武鉄道であった。小平町内において新宿線、多摩湖線、国分寺線、上水線(現拝島線一九五〇年五月開通)の旅客輸送をおこなって、都心に向かう通勤、通学者、町内の学校への通学者等にとって欠かせない存在であったことはいうまでもない。表5-16によると、一九五六年度における西武鉄道都内全駅の総乗車人数のうち定期利用者(通勤・通学者)の占める割合が六三・五%だったのに対し、小平駅(新宿線利用者)以外の町内すべての駅でその値を上回っている。なかでも多摩湖線の一橋大学駅と小平学園駅、国分寺線の鷹の台駅では約七五%前後の高い数値を示していた。多摩湖線、国分寺線の沿線地域では住宅地化が進んで利用者が増える一方で、通勤、通学者数も多く、朝夕の混雑の要因となっていた。
表5-16 小平町内各駅(西武鉄道)における乗車数推移
(単位;人)
 1956年度1959年度1962年度
定期定期外合計定期定期外合計定期定期外合計
西武鉄道都内全駅合計96,866,52055,777,889152,644,409142,540,95073,659,771216,200,721183,653,79087,957,790271,611,580
63.5%36.5%100%65.9%34.1%100%67.6%32.4%100%
新宿線花小金井駅461,790220,416682,206797,820350,8941,148,7141,552,560665,9332,218,493
67.7%32.3%100%69.5%30.5%100%70.0%30.0%100%
小平駅634,470396,7201,031,1901,283,580672,0151,955,595982,920629,1491,612,069
(新宿線利用者)61.5%38.5%100%65.6%34.4%100%61.0%39.0%100%
多摩湖線一橋大学駅538,140188,216726,356620,310225,992846,302635,460245,522880,982
74.1%25.9%100%73.3%26.7%100%72.1%27.9%100%
小平学園駅465,900149,659615,559675,720231,628907,348897,510273,6031,171,113
75.7%24.3%100%74.5%25.5%100%76.6%23.4%100%
青梅街道駅143,61071,053214,663181,08076,733257,813273,750113,551387,301
66.9%33.1%100%70.2%29.8%100%70.7%29.3%100%
小平駅384,700158,448543,148780,060269,5091,049,569168,78090,399259,179
(多摩湖線利用者)70.8%29.2%100%74.3%25.7%100%65.1%34.9%100%
国分寺線鷹の台駅176,07054,915230,985267,600112,421380,021442,800165,471608,271
76.2%23.8%100%70.4%29.6%100%72.8%27.2%100%
小川駅744,330314,1681,058,4981,298,730343,1251,641,8551,547,340365,6351,912,975
(国分寺線利用者)70.3%29.7%100%79.1%20.9%100%80.9%19.1%100%
上水線小川駅268,47093,021361,491155,49083,951239,441
(上水線利用者)74.3%25.7%100%64.9%35.1%100%
(出典)『東京都統計年鑑』各年度より作成。
(注)1956年度の上水線小川駅の数値は、国分寺線小川駅に含まれる。

 西武鉄道は一九五五年一〇月、小平町と東村山町の町議会議員、沿線地域の自治会長ら有志五〇名の要望もあって、国分寺線(国分寺駅―東村山駅)で往復六本、上水線(小川駅―玉川上水駅)で往復七本を増発する。翌年五月には、多摩湖線でも大型の二両連結車両を導入し、隣駅の一橋大学駅と三四〇mの近距離にある小平学園駅を廃止する混雑緩和策を決定した。
 この知らせを受けて、小平学園西地区、東地区、茜台都営住宅(第八都営)の住民と駅周辺の商店を中心とする小平町商工会学園支部では小平学園駅存置対策同盟を組織して、旅客輸送力の増強には賛同するものの小平学園駅廃駅には反対する運動を展開する。対策同盟は西武鉄道と数度の折衝をおこなったが妥協点を見いだせなかったため、同年六月一三日、小平町議会議長宛に「小平学園駅存置の為の陳情書」を提出した。また陳情書の提出にあたって賛同者の署名を集めたところ、五九三〇名もの協力を得た。
 陳情書では、大きくわけて三つの問題点を指摘していた。一つは、廃駅によって多くの利用者が流れる一橋大学駅では混雑がさらに激化して、多摩湖線の利便性は結果的に高まらないという危惧である。多摩湖線中間駅のなかでも一橋大学駅と小平学園駅の利用者数は特に多く、いくら旅客輸送力を高めても利用者が一駅に集中すれば、駅構内で混乱が起こって運行に支障をきたすことが予想された。二つに、廃駅によって周辺地域の展開に与える打撃である。小平学園駅を中心とする学園地区は宅地化が進み、また近隣地域に都営住宅も建設されることから各種商店の新増築も続々とみられる状況で、近年発展が著しかった。こうした動きに水を差すことになる。三つに、そもそも小平学園駅は箱根土地株式会社が「小平学園開発」の中心と位置づけて設置した駅であり、その後継である国土計画興業株式会社は小平学園駅と分譲地の距離を物差しに価格を設定して土地の売買をしていることから、その駅が廃駅になるということは開発や分譲のあり方が問われるという指摘である。大学誘致に成功した後に設置場所が決まった一橋大学駅と小平学園駅とは駅のもつ意味合いが異なり、各駅のもつ役割を見つめ直して欲しいと要望したのである。
 六月二三日、町議会では数多くの署名と陳情趣旨に理解を示し、町長、町議会議長連名で西武鉄道社長宛に陳情内容への配慮願いを出した。結局、西武鉄道は小平学園駅をそのまま据え置き、車両を増結するなどして対応していくも、利用者は増加する一方で多摩湖線の混雑はより深刻化していった。一九五八年には町議会に「『多摩湖線の通勤時における混雑緩和』に関する請願」(日本共産党小平町小平学園班、五月一六日)、「西武鉄道多摩湖線の通勤時における混雑緩和方を会社に交渉御願の請願書」(小平学園西区町内会・鷹野街道住宅自治会代表提出、六月七日)が提出された。前者の請願書には、小平学園駅と一橋大学駅における朝の上り列車の混雑具合を次のように記している。
  小平学園、一ツ橋大学両駅からの乗客は、貨物なみの扱いを受けて、電車につめこまれます。あるダイヤによっては、それでも乗れない客は車外にはみ出し、扉に鈴鳴〔ママ〕りのようにぶら下がったまま国分寺駅までゆられて行くのであります。

図5-24 小平学園駅 1955年頃
小平市立図書館所蔵


図5-25 国分寺線の電車に乗る人びと(小川駅)
『こだいら町勢要覧』1960年