学校教育と地域の改良

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以上のような町をあげての学校施設改善の努力は、教育に対する町民の期待のあらわれであるが、それに応え、教員たちによる教育内容の改良もおこなわれた。戦後教育改革によって、民主的な社会を形成する主体を育成するために、新たに設置された教科が社会科である。また日常生活に必要な衣食住や産業について、基礎的な理解と技能を養うための教科として、小学校家庭科と中学校職業家庭科が設けられた。いずれも社会の現実に即して、生徒個人の生きる力を養おうとするもので、戦前の教科とは全く異なる構想によってできた教科であるため、しばらくは教員たちが手探りで授業をつくっていかざるを得なかった。その際、小平の小中学校では、校長や教員たちの努力で、教育界でも注目されるような教育実践がおこなわれていた。
 小平第三小学校は社会科教育に関し「小学校としては相当深く研究している」学校として知られ、一九五三(昭和二八)年には、都教育庁の後援により教員七〇〇名を招いての大規模な公開授業が開催されている。町の「実態調査」にもとづいた教材開発で教育効果をあげていることが、大いに評価されていたのである。こうして次第に父兄のあいだにも社会科に対する理解や関心が高まったのだという(近現代編史料集③ No.五〇三)。また小平の小中学校では社会科教育の方法として、映画を活用することにも積極的であった(近現代編史料集③ No.四九二/No.五〇四)。
 一方、小平中学校は、一九五一年に文部省と都教育庁により「職業家庭科」の研究校に指定された。同校では四九年に生徒会の発案による生徒協同組合が結成され、町の農協とタイアップして、いくつもの事業を生徒みずからが運営した(近現代編史料集③ No.四九六)。すなわち「働くものの学園」をモットーに、広大な学校農場では茶や麦、陸稲の栽培や家畜の飼育がおこなわれ、製茶・製粉といった農産物加工や貯蓄の奨励活動、購買部の運営などの事業も生徒の力によって進められていたのである。つまり生徒協同組合の活動をつうじた職業家庭科の教育実践は、地域の農業とくらしの改良に必要な意欲や能力を、総合的に養おうとするものであったといえる。
 こうした生徒の自主性・自治に任せる農業教育は、戦前の小平青年学校でもおこなわれていた(第四章第三節3参照)。小平中学校の初代校長の有賀三二は、かつて小平青年学校校長をつとめており、この職業家庭科の教育実践は、小平青年学校の実践と連続性をもっていたものといえる。なお同校は、都の推薦で文部省の産業教育研究指定校に選ばれ(近現代編史料集③ No.五〇一)、また預金残高五〇万円にも達した生徒の貯蓄活動が模範的であるとして、農林中央金庫から表彰された(近現代編史料集③ No.五〇五)。
 地域に根ざした教育を通じて、地域とくらしを改良できる主体を育てることは、くらしを支える仕組みの再生産に不可欠な要素である。農業者など地域社会を巻き込んでおこなわれたこれらの小平の教育実践は、その模範的なものであったといえよう。

図5-31 小平第一中学校 1955年頃
小平市立図書館所蔵