町報に学ぶ

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一九五一(昭和二六)年一二月、「ボクタチは優良児」というタイトルのもとに、四九年七月以降に生まれた赤ちゃん一一〇〇名の中から選ばれた二二名の赤ちゃんの名前と住所が町報紙上に大きく紹介された。「体重、身長、筋骨の発達、血色、栄養、等標準以上」が優良な赤ちゃんの基準であった。この年の乳幼児一斉健康診査の結果を、「まだまだ一部のお母さん方が赤ちゃんに対する、『育て方』を認識しないで、いわゆる『かまわない』と云った育て方をしている」事態に警鐘を鳴らし、「少なくとも三ヶ月に一回位小児科のお医者さんに健康診断をしてもらって赤ちゃんの育て方の指導をして戴く事が必要」、発育と栄養と精神、運動の発達が「標準でなければ、あなたの赤ちゃんは丈夫に良く育っているとは云えません」と記されている(『小平町報』第三号)。標準にこだわり、日頃から医師の指導を受けることが一九五〇年代初めの育児のすすめであった。一九五五年の東京都乳幼児保健コンテストで二位となった小平町代表の赤ちゃんは生後一〇か月で体重一二・三kg、身長七七cmの大きな男の子であった(『小平町報』第二五号)。
 一九五七年度は町の保健婦による乳幼児の相談事業や「よい歯の母子のコンクール」が開かれるなど、子どもの保健事業が増強された(『小平町報』第三三号)。その年の乳幼児検診の結果は、地域別に受診該当数と受診数、さらに「クル病」「先天性股関節脱臼」等の人数を町報で公表し、「お母さん方は受診されることが親の義務」と該当者がすべて検診にくることを促した(『小平町報』第三四号)。一九五九年は、受診率がそれまでの七〇%前後から八二%に達したことを「お母さん方の育児の関心の高まり」とたたえている。そして「これまでめだっておくれていた離乳は一般に適当な時期にされるようになった」結果であり、ここには前年度からはじまった育児相談の利用状況がはっきりあらわれていると評されている(『小平町報』第四八号)。育児相談は、隔月に地域の集会所など六か所を会場としてはじまったが、一回目は一二〇名、二回目は二六〇名の参加者があり、保健婦から離乳食などの指導を受ける場であった(『小平町報』第三八号、第三九号)。しかし、六〇年受診率は、「予想に反し六二%に低下」した。町報は地域別の受診率と「上中下」に区分した発育状況の割合、さらに出生時体重からみた発育状況の表を掲載し、同時に検診の受診率と予防接種の接種率が相関関係にあることも指摘した(『小平町報』第六一号)。

図5-35 保健婦だより
『小平町報』第40号

 乳児検診や赤ちゃんの発育は、「お母さん方の育児に対する熱心さ」のバロメーターであり、町報紙上でその状況を伝えることが、新しい育児の啓蒙であった。