復興期のくらしを支える仕組みの特徴

480 ~ 482 / 861ページ
この時代の特徴についていくつか指摘しておこう。第一に、くらしにかかわる公的な施設の設置についてである。営団住宅や都営住宅などの公的な住宅供給が進められ、不十分ではあるが住宅難問題への対応がなされた。市民の文化・教養や健康、生活技術などの向上をはかるための拠点として公民館が構想されたが、小平では有賀三二の指導のもと、それにいち早く取り組み、他のモデルとなるような活動が展開された。町行政にはくらしを支える社会基盤整備にさらに取り組むことが期待されたが、しかしそれを十分に展開する財政的余裕がなく、税収増をはかるためにも企業誘致という「開発」の論理が浮かび上がっていくことになる。

図5-42 営団住宅 1955年頃
小平市立図書館所蔵

 なお公的施設という点で小平に特徴的なのは、戦時開発による総力戦関連施設の一部が、国民の医療・福祉の施設として開放されたことである。傷痍軍人武蔵療養所は国立武蔵療養所として開かれた医療施設となったし、東部国民勤労訓練所の跡は、東京身体障害者公共職業補導所をはじめとする体の不自由な人たちを支える施設として生まれ変わり、それらを取り巻くように規模の大きな医療施設が集積することになった。小平にこうした医療・福祉の施設が集積されたことは、安井都知事の構想では「三多摩振興の基地」とされたように、「郊外開発」の論理の延長という側面ももっていた。しかし同時に、第六・七章で述べられるように、これらの施設は高度成長期以降に、新たな意味をもつようになる。
 第二に、戦時に引き続き生活の合理化・近代化のための官製運動が展開されたことである。くらしにかかわる不合理な慣習が否定され、衣食住を合理的なものへ改良することはもちろんのこと、育児や健康・衛生習慣の合理化、家計・時間の管理や貯蓄の励行といった生活の規律化、さらには家族関係の民主化といった改良課題が強調された。生活改良のための知識や技術の啓蒙活動は、公民館の活動に組み込まれ、とくに婦人教室をつうじて女性に伝えられた。こうした公民館の取り組みは、たしかに「上から」の働きかけによるものであるが、それに参加した人たちは、知識や技術だけでなく「話し合い」や「仲間づくり」の技法を身に付けることで、家庭生活や地域社会の改良のために、みずから考え、実践する主体となっていった。
 第三に、いまだ過渡期であるということである。非農業人口の比重の増大によって人びとの生活様式が変化し、くらしの仕組みにおける伝統的なものが否定され、改良されたとはいっても、小平町にとって農業の重要性がなくなったわけではなかったし、農業を抜きにした将来像が描かれていたわけではなかった。人びとのくらしは行政や市場が提供する商品やサービス、施設に依存しきっていたわけではなく、依然として自然や農業とのかかわりが深かった。それを象徴するのが小平中学校の教育実践で、生徒生活協同組合の活動を中心とした職業家庭科の教育実践は、農業とのかかわりで生徒の能力や主体性を高めようとするところに特色があった。それは戦時のような国家に奉仕する人間を育てる教育でもなく、高度成長期以降に顕著となった企業社会に順応するための教育とも異なっていた。