『小平町報』では、一九六二(昭和三七)年一月五日の第八四号「町長の年頭あいさつ」で、具体的な実施目標年月を掲げて市制の施行をはじめて町民に告知する。小川睦郎町長は、一九六一年を小平町にとって「国からの地方交付税から脱却した、いわば充実第一歩の年」と振り返り、六二年を「町の充実発展の上で、新しい姿への転換脱皮の年」と位置づけて、町民各位の意見をくみながら六三年三月までに市制施行を目指すことを宣言する。
小平町の人口は一九六一年一二月に六万人を突破し、人口規模では日本一の町となっていた。住民の印象では、商工業者の割合が増え、「サラリーマン」も増え、住宅も増えて市制を施行する他の自治体とそう変わらない(『小平町報』第八五号)。「もう人口六万人になったから、市になるでしょう」「いつ市になるのですか」「市になったらどう変わるのですか」などの町民の声に答えるために、『小平町報』(第八五号)では「市制について考えましょう」と題して、市になるための法律要件を解説している。法律要件を現状でほぼ満たしていることを確認して、これから重要になることは、いつ、どのような目標をもって、市制を実施するかであると伝えた。
一九六二年二月、市制施行に向けて一般町民を対象とした広聴会が、町長と大島宇一町議会議長の出席のもと、町内の各小学校七会場(小平第一~六小学校・第二小学校分校)で開催された。町長から、小平町の現況、市制施行によってもたらされる行財政面のメリットとデメリット、単独市制の早期実現への決意などの説明があった。とくに、国や都に対する発言権が増すことで、文化、福祉などの施設の整備が早まる利点を強調している。町議会議長は、議会が五つの特別委員会を設置して小平町の郊外化について調査研究をおこない、市制施行に向けた準備を進めていることを報告して、町長の説明を補った。町長と町議会議長の説明ののち、広聴会は市制施行についての可否、そして都市計画に関する事業の進め方についての質問や要望を受けるという形で進められた。