一九六〇年代の市財政

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人口の増大に比例するように小平市の歳出規模は一路増大している。一九六〇年代の小平の歳出は、一九六三(昭和三八)年度までと六四年度以降で費目が異なっている。一九六三年度までの主な項目は教育費、土木費、保険衛生費、社会労働施設費であったのに対し、六四年度以降の主な費目は、教育費、土木費、民生費、衛生費、労働費となる。ここでは、一九六四年度以降、費目の割合の大きい教育費、土木費、民生費を表示して、一九六〇年代における小平の歳出決算額を示した(表6-1)。
表6-1 小平市一般会計歳出決算額
単位:万円
 総額教育費土木費民生費
 総額に対する割合 総額に対する割合 総額に対する割合
1960年度25,5728,44033.0%3,20612.5%  
1961年度41,18815,00536.4%4,51710.1%  
1962年度55,98014,41325.7%6,68511.9%  
1963年度91,07421,10723.2%7,7398.5%  
1964年度108,47927,13625.0%22,03120.3%16,15214.9%
1965年度132,69333,34725.1%25,39319.1%20,04815.1%
1966年度201,54376,55338.0%30,45515.1%26,39213.1%
1967年度202,95955,25527.2%33,92216.7%37,46118.5%
1968年度364,354160,55644.1%50,66413.9%48,99613.4%
1969年度344,50394,20527.3%68,76220.0%60,90917.7%
1970年度527,572159,37030.2%95,10918.0%103,83019.7%

 一九六〇年代をつうじて、教育費は二三%から四四%と一貫して高い比率を占めている。これに対して一九六〇年代半ば以降になると、土木費と民生費は、いずれも一〇%台の半ばから二〇%を占めるようになった。教育費・土木費・民生費を加えると、六~七割に達しており、三者の合計比率は、一九六〇年代後半をとおして増加する傾向にあった。教育費・土木費・民生費が六〇年代の中心的な費目であった。
 一九五〇年代末から六〇年代半ばにかけて、小平では人口増加と大企業の進出により、自己財源の基盤を確保するようになる。
 一九五八年度から五九年度にかけて、小平町の町税収入は三四%増加している。だがこの年は、まだ地方交付税に補われており、一九五九年度決算の「小平町財政白書」(『小平町報』第六三号)では、「まだ自己財源に恵まれず」と評価されていた。一九五九年度から六〇年度になると、町税収入は五八%の増加となり、一九六〇年度下半期分の財政白書では、「町税の伸びで自主財源強化の傾向」と評価されるようになった(『小平町報』第七〇号)。一九六〇年度上半期と一九六一年度上半期の町民税は、五二%増加している。
 町民税の構成をみてみよう。町民税から大企業(町内七企業・東京電力・西武鉄道)の法人税割・固定資産税と国都有資産交付金を除き、一世帯当たりの負担額を計算すると、一九六〇年度上半期は四一八四円、六一年度上半期は六三七一円であり、一・五倍に増加している。これに対して、町民税から大企業(町内七企業・東京電力・西武鉄道)の法人税割・固定資産税と国都有資産交付金を差し引かずに、一世帯当たりの負担額を計算してみると、一九六〇年度上半期は六六二二円、六一年度上半期は一万六四〇円になる。町民税のなかで大企業及び公的資産交付金が有意な割合を占めていたことがわかる。人口の増加と各世帯の町民税負担の増加および大企業の進出が、小平市の歳入規模増大を支えていたのである。
 以上の傾向のなかで、小平町は、一九六一年度に地方交付税の普通交付を受けない自治体となる。この年度において、三多摩地域の他町村で地方交付税不交付団体は、国分寺町・田無町・狛江町だけである。全国的に見れば、所得倍増計画下で公共投資が増大し、地方自治体の財政規模は大きくなる傾向にあり、地方交付税を受けない自治体は少なかった。小平では各世帯の町民税増加と大企業の町民税増大が「自己財源」の確保につながったのである。
 歳出に目を転じてみよう。人口増加に対応したまちづくりを進めるため、一般会計では、学校建築、道路整備、排水路整備に重点が置かれている。一九六二年度の歳出の決算では、学校建設費を含む教育費が二五・七%に達しており、道路舗装と排水路整備を中心とした土木費が一一・九%を占めた。

図6-3 『小平市報』で報告される財政白書 1963年 『小平市報』第16号

 一九六〇年代半ばになると、小平市では次第に福祉(民生費)に力を入れるようになる。『小平市報』における市政方針や予算・決算の説明では、単なる「都市づくり」「都市建設を進める」という表現から、「住みよい町づくり」(第七八号 一九六五年一二月二〇日)というキャッチフレーズを多く使うようになる。一九六六年度の予算紹介では、「明朗で住みよい小平市づくり」として、保育ママ制度、家庭奉仕員制度、内職斡旋事業などの新規の福祉事業が大きく取り上げられている(『小平市報』第八五号)。
 一九六〇年代後半の小平市の財政規模は一気に増大している。表6-1に示したように、一般会計歳出決算額は、一九六六年度の二〇億一五四三万円(前年比五二%増)、一九六八年度の三六億四三五四万円(前年比八〇%増)へと大きく増加している。
 一九六五年度から六六年度へ、歳出は約七億円増加している。教育費は約四億三二〇〇万円、土木費は約五〇〇〇万円増加している。教育費では、新設小学校の用地収得費として三億五六五七万円を支出し、小中学校の教室増設、体育館やプール建設にかかわる費用も恒常的にかさんでいる。土木費では、小平駅南口広場造成にともなう都営住宅移転の費用として一億四三八三万円を支出している。こうした歳出に対して、歳入では市税収入が前年から一億八五〇〇万円増加したものの、これだけではまかなえず、市債を前年から三億六〇〇万円増加させることで対応している。
 一九六七年度から六八年度への一六億円の歳出増加は、前年比で教育費が二・九倍、土木費が一・五倍、民生費が一・三倍増加した影響が大きい。民生費では、生活保護費のほか、保育所や児童遊園地の設置にともなう費用が増大している。
 一九六七年度の予算編成を開始する際に、小川睦郎市長は基本方針として「建設・教育・福祉を重点に」とうたう(『小平市報』第一〇二号)。福祉行政のなかでも、とくに幼児・児童の遊び場、保育施設の不足緩和を掲げている。こうした方針のもと、教育費・土木費・民生費が増大することで、一九六〇年代後半の小平市の財政歳出は拡大していったのである。