運動のきっかけは、一九六七年五月、大島宇一が市長に就任して「明るい緑の街づくり推進」を提唱したことにあった。小平市は公共施設に樹木や花を植え、緑と花いっぱい運動の会を設立して民間運動として盛り上げていこうとした。市民六四名が発起人となって会の設立準備を進めている。
会では当初、五〇〇名の会員数を見込んでいたが、実際には予想を超える八四六名(一般会員八三七名、特別会員一名、一般団体七、特別団体一)が集まった。その後の五年間に一七〇八名まで増加している(『緑と花』一九六九年四月号、一九七四年四月号)。
運動がはじまって間もない一九六八年八月、小平市では「市の木」「市の花」の選定をおこなう。会の選定委員によって、木の候補「けやき」「さくら」「えごの木」、花の候補「つつじ」「はぎ」「かんぞう」があげられ、『小平市報』(第一四二号)での呼びかけに応じて会員を中心にした市民が投票し、多数決で決めた。その結果、木はけやき三二一票、さくら八九票、えごの木四八票で、花はつつじ二六九票、はぎ一三三票、かんぞう五二票であった。市の木はけやき、市の花はつつじに決定し、同年一〇月一日市制施行記念日に発表された(『緑と花』一九六九年一月号)。
図6-5 緑と花いっぱい運動の会(第1回総会)1968年
『こだいら市勢要覧』1972年