小平団地は鉄筋五階建てで、ガス、水道が完備されていた。敷地内にはスーパーマーケット、診療所、子ども遊園地、郵便局などの施設が整えられ、入居は、第一回が一九六五年三月一六日から、第二回が同月二九日から開始されるとあった。小平団地の入居世帯は一六七八で、一世帯当たり三人を見積もると五千人超の人口増加が見込まれた。同年三月一日現在の小平市の人口は九万二九七四人であるから、一〇万人突破が目の前に迫ることになった。
小平市は一九六四年度より、都市計画整備事業として、小平駅南側に広場を造成して、そこから小平団地西側を通って喜平橋まで、幅員一六mで全長約二kmの街路を建設、広場を東西に挟んで住宅店舗併用の一〇階建て高層ビルを建設する計画をたてた。これと同じ時期に、西武鉄道は新宿線の拝島駅乗り入れを検討し、小平駅ホームを拡張して、「近代的な橋上駅」にする計画を進めた。新しい街路は、のちに、あかしあ通りと命名された。
高層ビルの建設は一九六七年八月に着工する。一〇階建て高層ビルは、一、二階が店舗で、三階以上を住宅とするいわゆる「ゲタばき高層ビル」だった。一、二階の店舗には一つのスーパーマーケットと二〇の個別店舗が入り、住宅には1DKが三二戸、2DKが八八戸の合計一二〇戸が予定された。スーパーマーケットは一九六八年九月に西友ストアーに決まった。日本住宅公団は、一九六九年二月二一日に入居者説明会を開き、二五日から入居開始となった。
図6-6 小平駅東側高層ビル 1973年
『小平市制施行30周年記念 市民の思い出写真集』
高層ビルの建設にあたり、予定地にある第一七都営住宅三七戸の移転先が問題になった。都営住宅の居住者とは、小平駅とあまり遠くない場所を条件に移転の話がまとまった。一九六七年四月に都営住宅は大沼町一丁目に新築移転された。