第五章第四節3でみたとおり、多摩湖線の混雑は手のほどこしようがなかった。一九六四(昭和三九)年六月、西武鉄道はいよいよ多摩湖線の輸送力増強のため、①小平学園駅と一橋大学駅を統合した駅を新設して、三両編成の列車を導入し、②運行本数を一五分から一〇分間隔に増発する計画を発表した。
地域住民の反対運動を経験した小平市議会では、同年八月、西武多摩湖線輸送増強調査対策特別委員会を設置して調査にあたった。この調査によって午前七時から八時まで、小平学園駅・国分寺駅間で、二両合計二三六名の定員、一五分間隔の運行四回で、定員九四四人のところ、二九八一人の乗客を運んでいることがわかった。
九月一一日、市議会では「西武多摩湖線輸送力増強に関する要望」を決議する。「西武多摩湖線の輸送増強策は、今や駅の統合改廃のごとき局部的対策にてはいかんともなしえず、正規の鉄道の姿である複線化の断行以外に解決策のない」(『小平市議会会議録』)と結論づけ、西武鉄道の責任において実施するよう強く要望した。
しかしながら、西武鉄道は一一月、急速な複線化は困難であり、小平学園駅と一橋大学駅の統合が最終案であると伝えてきた。市議会は一二月、複線化を再度求め、西武鉄道の「責任において地域住民との円満な協調のもとに解決をはかること」(同前)を要望した。複線化は結局、実現されず、西武鉄道と住民との間で議論の場がもたれたのち、一九六六年七月に一橋学園駅が誕生した。