農地減少と兼業化

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一九六〇年代の小平では農業の衰退が目に見えて明らかとなっていく。
『東京都統計年鑑』によると、農家戸数は一九六〇(昭和三五)年に八八三戸、六五年に七六八戸、七〇年に六七九戸と推移し、この一〇年間で二三・一%も減少している。経営耕地面積は、同様に八二・〇ヘクタール、五八・五ヘクタール、五〇・〇ヘクタールと推移し、一九六〇年代前半に二三・五ヘクタール、後半に八・七ヘクタール減少している。
 この内容をもう少し詳細にみてみると、経営規模の大きな農家戸数が減っていることがわかる。経営耕地一五〇アール以上の農家戸数は、一九六〇年に一七三戸、六五年に八九戸、七〇年に六一戸と、一〇年間で三分の一程度まで減少する。経営耕地一〇〇アール以上一五〇アール未満の農家も、同様に二〇〇戸、一四二戸、一一九戸と、一〇年間で六〇%程度まで減少する。両者を比較すれば、一九六〇年代前半に経営耕地一五〇アール以上の農家が激減していることが目立つ。
 逆に、経営耕地三〇アール未満の農家戸数は、一九六〇年に一四六戸、七〇年に一五三戸、三〇アール以上五〇アール未満は同様に一〇六戸、一一四戸、五〇アール以上一〇〇アール未満は同様に二五八戸、二五〇戸を数える。経営耕地が比較的中小規模の農家数はほぼ横ばいに推移し、なかでも経営耕地三〇アール未満と経営耕地三〇アール以上五〇アール未満の農家数は増加している。
 一九六〇年の小平では、経営耕地五〇アール以上一〇〇アール未満の農家がもっとも多く、ついで経営耕地一〇〇アール以上一五〇アール未満の農家数、経営耕地一五〇アール以上の農家数の順番になるように、比較的中規模から大規模の農家が多かった。それが一九六〇年代前半になると、それまで比較的大きな規模で経営してきた農家が廃業したり、農業経営を縮小させたりして、農地の住宅などへの転用や売却が目立つようになった。一九六〇年代後半になると、この傾向に歯止めはかかったが、一九七〇年には小中規模の農家数が多数を占めるように変化した。
 一方、専業農家数は一九六〇年に四〇四戸、六五年に二八七戸、七〇年に一四一戸と、一〇年間で三分の一程度まで減少する。全農家数に占める割合は、同様に四五・八%、三七・四%、二〇・二%であった。兼業農家は一九六〇年に四七九戸、六五年に四八一戸、七〇年に五五六戸と増加している。第一種兼業農家(農業所得を主、農業外所得を従とする農家)は、同様に二〇九戸、一七八戸、一二四戸と減少するも、第二種兼業農家(農業所得を従、農業外所得を主とする農家)は、同様に二七〇戸、三〇三戸、四三二戸と増加した。
 専業農家数は、一九六〇年代に一気に減少する。兼業農家数の増加のなかで、第一種兼業農家数は減少して第二種兼業農家数は増加している。特に一九六〇年代後半、第二種兼業農家数の割合は一気に高まった。また一九七〇年の「農業センサス」によれば、兼業農家の自営兼業率が五〇・四%を占めることから、兼業農家の半数以上が貸家やアパートなどの不動産経営をおこなっていたことがうかがえる。