工場の福利厚生施設の建設と緑化

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一九五〇年代後半に小平に進出した工場によって、地域はどのようにつくられ、変容していったのであろうか。大きな工場が建設され、その周りに寮をはじめとする福利厚生施設が矢継ぎばやに建設されている。
 第五章第四節2でみたように、ブリヂストンタイヤ東京工場では、一九六一(昭和三六)年二月に小平第六小学校を、翌年七月に同校にプールを寄贈する。その他、東京工場内に、運動場(一九五九年三月)、転任者アパート(六〇年三月)、青年会館(同前、六二年八月増築)、理髪店等も入った生協マーケット(六〇年四月)、診療所・集会場・図書室などが入った厚生会館(六〇年一〇月)、プール(六一年四月)、相撲土俵(同前)、女子青年会館(六一年八月)、児童会館(六三年四月)、が矢継ぎばやに建設される。工場内で「BSこだいら村」と呼ばれる所以である。
 工場内にアパートが建設されると、アパート隣に噴水池が造成され、夏には子どもの水遊び場となる。アパート敷地に予定する空き地は仮遊園地にして、砂場、スベリ台、ブランコ、シーソーなどが用意された(『BSニュース』一九六〇年九月号、一〇月号)。
 東京工場を訪れる人は、真白な工場と草木の緑とのコントラストの美しさに目を奪われる。五月から六月にかけて、正門付近や外柵などに植えられている、けし、ばら、矢車草、つつじなどが一斉に花開く。つつじは九州の久留米より移植された「久留米つつじ」である(『BSニュース』一九六〇年七月号)。

図6-11 山下清が描くブリヂストンタイヤ東京工場 1962年
『新週刊』1962年8月14日号 国立国会図書館所蔵(マイクロフィルム)

 一方、日立製作所武蔵工場の周辺は、当初、一面に畑が広がり、どことなく淋しい風景であった。工場では、女子従業員の安全を確保するため、正面を万代塀、三方を有刺鉄線で囲む予定があったが、金網塀につるバラを這わせることにした。その結果、初夏には「赤、ピンク、エンジの花を咲かせた金網塀とグリーンの芝生に調和してほんとうに美しい光景」を見せた。また工場の敷地内でも植樹をすすめ、ツツジの花が咲く頃は「道ゆく人や、朝夕の出退勤時の従業員になごやかな気分」を与えるようになった(『むさし』第三〇号)。
 武蔵工場では「工場緑化に関心と協力を」と従業員に訴えるほど熱心であった。本社より造林用の寄付金を得て、武蔵野にふさわしい欅と雑木を移植した。工場内では芝生による緑化も進めて、砂塵が工場内や寮・社宅内に入ってくるのを防ぐとともに、若い労働者たちが芝生の上で各種スポーツをできるような環境を整えた(『むさし』第七七号)。
 恵泉女学園短期大学生活園芸科で教鞭(きょうべん)をとり、小平市園芸組合にも参加し、「趣味の園芸」(NHK教育テレビジョン)でレギュラー講師を務めた柳宗民は、こうした工場による緑化を以下のように評価する(近現代編史料集⑤ No.一九一)。
 私の住む小平の町も、秋には小平市となる。ちょっと出歩かないでいると、いつのまにかあちこちに新しい団地が生れ、工場が建つている。独歩や蘆花の愛した武蔵野の自然も、時代の流れに抗し得ず、大きくその姿を変えてゆく。自然の美しさが消えていく事は、云われぬ寂しさを感じさせるし、それを留めることの能わざることをしるほどにいらだたしさも感じる。
 何とかならないものだろうか、こう悩む時、私はある一つの道を見出した。〔中略〕近頃、新しく建つ工場は、清潔感にあふれた美しい近代建築美をたたえたものが多い。そして、広い敷地には、緑の芝生が拡がり、造園的にも美しいものが多い。これは考えてみると、美を求める者にとつて大変嬉しいことであろう。
 自然の美しさは損われたかもしれない。けれども、こうした近代的人工美を生かした工場が建ち、住宅では、心の糧として花が飾られ、それらが和して一つになれば、自然の美しさに代わるべき新しい美が形作られよう。そうしてその美をより美しく引伸ばすために、私達、美を創り出すべき園芸や造園に携わる者達の使命は、大変に重いものであると共に、社会生活を美しくする為の使徒としての誇りを持ちたいものである。