一九六〇(昭和三五)年四月、東京工場「生えぬき」第一期生として、中学校を卒業したての二八名が勤務をはじめる(『BSニュース』一九六〇年五月号)。翌年一月、近隣の中学校から集まった約八〇名の応募者に対して、第二期生の入社に向けた採用試験を実施した。採用者は五二名であった。(同前 一九六一年二月号/一九六一年五月号)
図6-13 中卒新入社員を歓迎するようす 1966年
『BSこだいらニュース』第20号 株式会社ブリヂストン所蔵
一九六三年、東京工場は約一八〇〇名の従業員をかかえるようになる。従業員の平均年齢は二四・五歳、勤続年数は三・一年であった。一八歳から二〇歳の従業員が約七〇%を占め、若い労働者がとても多い工場であった(同前 一九六三年二月号)。
こうした労働者は「三直」勤務をこなす。一九六〇年四月、工場では現地採用者、つまり通勤者のために仮眠所を用意する。一年がたつ頃には、「現地採用者が続々と増し、一直五十四名収容の仮眠所がもう満員」となり、近隣居住者は夜中に家へ帰らなければならなくなったので仮眠所が増設された(『BSニュース』一九六一年六月号)。一九六三年一〇月に建設された厚生会館にも、大仮眠所が併設されてさらなる対応がはかられている。
一九六〇年代半ば頃になると、東京工場の従業員採用方法に大きな変化が起こる。創立時から一九六〇年代前半まで、主に久留米工場からの転勤者と東京での地元採用者でまかなってきたが、その後、東北地方をはじめとする地方出身者を積極的に採用するようになる。一九六五年四月の採用者は、中卒四七一名(うち女子八名)、高卒六四名(技術系男子四一名、事務系男子五名、事務系女子一八名)であった。実際に入社した中卒新入社員数は四二八名で、これを出身地別にみたものが表6-5である。久留米とのつながりが強い福岡県が一番多いが、次に岩手県、青森県、秋田県といった東北地方が続いた。地方採用者は全部で三八〇名を数え、全体の八八・八%を占める。また地方出身者では、女子中卒者の採用はなかった。
表6-5 ブリヂストン東京工場の中卒新入社員数(1965年4月入社・出身地別) | ||
福岡県 | 97 | |
岩手県 | 62 | |
青森県 | 57 | |
秋田県 | 46 | |
新潟県 | 31 | |
長野県 | 23 | |
福島県 | 17 | |
宮城県 | 13 | |
山形県 | 12 | |
佐賀県 | 11 | |
大分県 | 5 | |
熊本県 | 3 | |
山口県 | 2 | |
長崎県 | 1 | |
小計 | 380 | |
東京都 | 37 | (6) |
埼玉県 | 11 | (2) |
小計 | 48 | (8) |
計 | 428 | (8) |
(出典)『BSこだいらニュース』第8号、1965年4月10日。 (注) ( )内の数字は、そのうちの女子数を示す。 |
こうして集まった若年労働者たちのほとんどが独身寮に入った。東京工場では、約一五〇〇名もの独身者が寮で生活をしている(『BSこだいらニュース』第八号)。