郷土研究会をはじめる

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一九五九(昭和三四)年一二月、小平郷土研究会が発足した。『小平町誌』の刊行から九か月目のことであった。目的は「郷土文化の発展並に環境の調査研究をし小平町の健全な発展に寄与する」ことにあった。そのため「1文化財の保護、2小平町誌の遺補、3講演会、見学会、会報の発行、研究発表、4都市計画の研究調査」などの事業を推し進めることになった(「小平郷土研究会会則」)。会長には、『小平町誌』の編さん過程で厳しい批判を述べた小川開拓者小川九郎兵衛の末裔(まつえい)にあたる小川愛次郎が就任し、陣頭指揮を執ることになった。学者・政治家・教育関係者を除くと、構成員の多くは地元の有力者であり、新しく移住してきた住民の名前はほとんど見られなかった。まさに地域出身の小平町民による、みずからの祖先の歴史の発掘と、その再構築の出発であった。
 一九六二年五月、小平郷土研究会は『会報』を創刊した。そして一九六四年一一月には第二号を刊行した。「創刊号」には祝辞を町長や政治家、大学教授などが寄せる一方で、会長の小川愛次郎や地元の郷土史家が力作を投稿した。第二号においては、創刊号の愛次郎の「郷土閑話」に触発され、のちに「ふだん記運動」で知られる八王子市の橋本義夫(一九〇二~八五年)が「庶民の方角と命名」を載せるなど、小平の郷土研究に留まらぬ広がりをみせた。その一方で地元の小中学校に勤める教員が、市内の神社仏閣や年中行事など民俗事象にかかわる論稿などを七本も載せ、郷土研究と教育の接点を求めた点は注目に値する。

図6-16 小平郷土研究会『会報』 創刊号 1962年

 また研究会は発足とともに、一九五九年六月二二日には第一回実地見学会を小平公民館と共催で実施した。小平公民館は、すでに新しい住民を巻き込んで学習会などを開催していた。実施見学会は、その後も年に二、三回の割合で実施した。参加者は第一回には五六名であったが、回数を重ねるごとに増えていき、一〇〇名以上の参加者を数えることもめずらしくなかった。講師には菊池山哉や小林源次郎などの郷土史家があたり、近在の国分寺跡や野火止用水、さらには青梅や鎌倉、秩父方面へと広がり、名所旧跡、神社仏閣などを訪ね、歴史への知識を深めていった。地域出身者中心の郷土研究会は、新住民の学習の拠り所にもなっていた公民館活動と結びつくことで、新しい住民にも小平の歴史を啓蒙、喚起した。