社会科副読本と地域意識の変化

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『小平町誌』の刊行(一九五九年三月)を経て、自分たちの住んでいる小平町について考え、理解を深めるための社会科副読本『わたしたちの小平』が刊行されたのは、一九六〇(昭和三五)年四月のことである。小学三年生を対象にした副教材である。表6-6のように児童の生活する小平町の地図からはじまり、産業や生活、行政のしくみ、交通機関、他市町村との比較と学習を進め、そして最後が歴史をあつかう章立てになっている。
表6-6 小学校社会科副読本(『わたしたちの小平(市)』)の単元比較
1960年度版(初版)1968年度版1980年度版
一、小平町のようす一学期一、小平市のようす一学期一、小平市のようす
(一) 町めぐり 1、学校のまわりのようす
(二)地図を作ろう 2、小平市ぜんたいのようす
 (三)地図をながめて    
二、小平町の人々のしごと二、小平の人びとのくらし二、市の人びとのしごと
(一)農家のくらしやしごと1、いろいろなくらし 1、畑のしごと
(二)農業きょうどう組合と市場2、のうかのしごと 2、工場のしごと
(三)店と工場3、みせのしごと 
1、小平町の店4、工場のしごと 
2、小平町の工場5、つとめの人びと 
 (四)おつとめの人々    
三、小平町をよくするしくみ二学期三、くらしをよくするしくみ二学期三、わたしたちのくらしと商店がい
(一)わたしたちの助け合い1、すみよいくらしをするために1、わたしたちの家の買いもののようす
(二)けいさつのしごと2、安全なくらし2、商店がいのはたらき
(三)しょうぼうのしごと3、市役所のはたらき3、よその町とのむすびつき
(四)けんこうをまもるしくみ
(五)町役場のはたらきと町議会
 (六)いろいろなしせつ    
四、小平町の交通四、小平市の道とのりもの四、わたしたちのくらしとよその土地のくらし
(一)町の道1、小平市の道1、小平市とおなじ土地とちがう土地
(二)町ののりもの2、小平市ののりもの2、山にかこまれた檜原村
 (三)交通あんぜん   3、川にはさまれた江戸川区
五、いろいろな町や村三学期五、小平市のうつりかわり三学期五、小平市のうつりかわり
(一)小平町のまわり1、あれ野をきりひらいたころの小平1、くらしのうつりかわり
(二)山の町や海の町のくらし2、かいこをさかんにかっていたころ(明治のころ)の小平2、作物のうつりかわり
1、山の町-五日市-3、鉄道がしかれたころ(大正から昭和のはじめ)の小平3、鉄道ができてから
2、海べの町-大磯-4、じゅうたくや工場が多くなってきた小平
 (三)大きな町のくらし-東京-5、これからの小平
六、小平町のおいたち
(一)むかしの小平-新田と玉川上水-
(二)明治大正のころの小平
1、学校のたんじょう
2、べんりになったのりもの
3、かいこと村のくらし
(三)今の小平
 (四)これからの小平    
○わらしたちの町のならわし(年中行事) ○小平市の年中行事 ○小平市にむかしからあるならわし
○学校のあゆみ○小平市のうつりかわり(年表)○小平市のあゆみ(年表)
○小平町のうつりかわり(小平町年表)  

 学習目標を「どうしたら、わたしたちの小平町をもっと、明かるいすみよい町にすることができるだろうか」に設定し、学習した後で「あれ野だったむかしをふりかえりながら、わたしたちにできることは、力をあわせて、いっしょうけんめいやって行くようにしましょう」(『わたしたちの小平』)と、歴史をふり返りながらどのように共同性を育んでいくかという問いを課した。
 三年後の一九六三年四月には、改訂版『わたしたちの小平市』が刊行された。この本の学習のポイントは、「家や学校のまわり」の変化の観察、「となりの学校やよその町」との比較、小平市の特色と問題点の提示などにあった。だが、その内容は、地理的なものや社会・経済・政治的なものが多くなり、相対的に歴史的なものは後退している。その一方で「産業」に力点が置かれ、市内に誘致した大企業である日立武蔵トランジスター工場やブリヂストンタイヤ工場などの工場のしくみが取り上げられるようになった。
 さらに一九六八年四月には『わたしたちの小平市』は大幅に改訂され、他地方との比較の単元が削除され、社会的問題と化していた公害との関連から「ごみあつめ」の単元が、新しく大単元「三 けんこうで安全なくらし」に登場する。また歴史を扱った大単元「五 小平市のうつりかわり」では、冒頭に「ふえてきた学校」の小単元を配置し、二一年間で一六校の小学校が開校した事実をふまえ、学校の増加をとおして小平の郊外化の急激な変化を児童が学べるような叙述になっている。ここには住宅がふえ、工場がふえ、「かわってきた市のようす」が現代を起点に過去にさかのぼる倒叙式歴史記述が試みられている。だが系統的な歴史的叙述は少なく、現代がかかえている諸問題(車の多さ、ごみの多さ、公害、保育園、道路など)に学習の力点が置かれていた。ここにも現代に重点を置いた民俗学を中心にした『小平町誌』の影響が影を落としていた。

図6-18 『わたしたちの小平市』1980年とその指導資料