たとえば小平第八小学校の校歌「進めはちの子」(一九六九年一一月制定)は、「八小」と「はちの子」を掛けた歌詞で、教職員全体で作詞したものである。「みどりの森に こだまがひびく にこにこ元気な はちの子が 風に向かって 進みます」。ほがらかに、のびやかに、楽しく、元気に、学校生活を送ることを後押するような歌詞である。同校の校庭に築いた四m余りの山(「はちのこ山」と称す)と、「教育目標の基本方針」(小平第八小学校 『昭和四三年度 教育計画』)の「遠い将来と広い世界を見つめつつ互いに協力し」を結実した詩で、世界に大きく飛翔することを願った校歌といえる。
逆に土地の歴史や伝統を織り込んだ校歌がないわけではない。「みどりを分けて 押しすすむ 希望ははてない 武蔵野に みおやの血潮うけついで われらは育つ〔中略〕歴史は語る まのあたり 遠い昔の 荒野原 苦難に耐えた開拓が われらを恵む」。小平開拓の困難な歴史と豊かな自然をうたったのが、小平第十一小学校の校歌(一九七〇年制定)である。小平養護学校(現小平特別支援学校、一九七〇年制定)の校歌でも、「多摩の山なみ〔中略〕高き理想をかゝげ けやき若葉の〔中略〕かたき試練をのりこえて 古き歴史の武蔵野に」と小平の自然と歴史と、さらにはみずからの理想を掲げた歌詞となっている。
図6-19 小平養護学校校歌
だが、一九六〇年代から七〇年代につくられた校歌を概観すると、その多くは小平のゆたかな自然のすばらしさを賞賛しているが、個別小平の土地に刻まれた歴史を歌い込むのは少数である。
これには、都心における大気汚染などの公害問題への危機感があり、郊外化への過程にあった小平市が、都心から流入する新しい住民のために、土地に刻まれた人びとの営みの歴史を共有するよりも、そこに住む人びとの生活にとって、まずは重要であった現実の生活環境である自然や社会の豊かさ、明るさを強調する意識が潜んでいたといえよう。