一九六〇年代における小平のくらしにとって、もっとも大きな影響をあたえたのは郊外化による人口流入であろう。急激な人口増加は小平のくらしの相貌を大きく変えることになった。小平の人口増加は、若い夫婦や単身者が多かったことを特徴にする。核家族を中心にして世帯数が増加し、子どもの数も増大した。そのことが小平のくらしのあり方を大きく変えることになる。
この時期の小平でのくらしにとって、もうひとつ、小平市の誕生が大きな画期になる。小平町から小平市への変化は、単なる地方制度上の変遷にとどまらない。町から市になることで、たとえば小平市には北多摩北部事務所や小平市福祉事務所、小平保健所が設置され、小平市社会福祉協議会も設立された。のちに小平市で福祉の取組みが積極的に進められる背景の一つとして、小平市の誕生を位置づける必要がある。
本節のくらしを支える仕組みの骨格を示しておこう。くらしを支える仕組みは、上下水道や道路などの基礎的な社会基盤から働くこと、教育・福祉・医療まで広範囲にわたる。そのなかで社会基盤については他の節で扱い、本節の「くらしを支える仕組み」には、主に教育・福祉・医療・自治組織とその担い手を対象にする。社会基盤がくらしを支える基礎だとすれば、教育・福祉・医療・自治組織はいずれも人びとが次世代を育てたり、健康を維持したりするものであり、くらしを再生産するうえで欠かせないものである。くらしの再生産の仕組みに焦点を合わせることで、かつての家や村(地域)が大きな役割をはたしていた段階から、行政村の役割が増し、戦後の一九五〇年代以降に核家族化が進行すると、行政や自主的な地域活動や運動、民間の諸団体が大きな役割を果たす段階へと移行する、くらしの大きな変化を見とおすことができる。