くらしを支える担い手

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この時期の教育・福祉・医療・自治組織の担い手をみれば、保育園や小中学校、公民館を設置し、福祉や医療を執行する小平市の果たした役割は大きかった。小平市は東京都――国との関係のなかで市政を執行した。小平には都立の高等学校、保健所が設立され、国立や私立の大学が設置された。小平市にとっての東京都は、一般的な上位団体にとどまらず、都立の小平養護学校を擁し、さらに一九六〇年代末には朝鮮大学校の認可にかかわる存在だった。保育園、幼稚園、小中高校の担い手には、生徒(児童、園児)、教職員、保護者が存在し、PTAも大事な役割を果たした。とくに一九六〇年代の小平市では、小さい子どもをかかえた若い夫婦の流入が多く、保育園や幼稚園、小学校とその周辺への関心は非常に高かった。
 一九六〇年代の小平市で多く流入した単身者や若い夫婦にとって、新しく移り住んできた地域(小平市)にどのようにかかわるのかは、大きな課題であった。公民館、PTA、自治組織などが新しく移り住んだ人と地域を結びつける役割を担うことになる。公民館では、青年、女性、高齢者などを対象にした講座が開かれ、社会教育主事や公民館主事が講座を支えた。地域の自治組織に加えて、団地にも自治組織ができている。福祉と医療の担い手については、小平医師会や小平市社会福祉協議会があり、戦前・戦後以来の多数の医療機関や身体障害者更生機関があり、医師、看護婦に小平市制施行後は保健婦、ケースワーカー、民生委員が加わり、さらにさまざまな障害者団体が存在した。