地域のなかの子ども

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子どもたちと地域を直接つなぎ、地域での子どもたちを見守る活動を担う組織として、PTA交通委員会や地区委員会(学校によっては校外生活委員会)があった。交通委員会は、学区内の交通安全のための諸活動を、また地区委員会は、地区の治安確認や夏休みなど長期休暇時を中心とした子ども会活動の運営などをおこなっていた。これらの委員会の役割は、地域において子どもたちが安全にくらすことができるための環境整備であった。一九六〇年代の急激な人口増加は、生活環境を変化させ、子どもたちの生活にマイナスの影響を与える側面があった。たとえば一小地区内では、この時期に交通量が激増し、交通事故の増加など子どもたちの生活と生命が脅かされていた。子どもたちを交通事故から守るべく、交通委員会と地区委員会は協力しながら、地区内の視察や道幅整備、踏切遮断機・ガードレールの設置を市に陳述するなどの活動を進めた。一九七〇年になると、一小地区自治会連合とも協力しながら、学区内の交通安全対策に取り組んだ。また、新日本婦人の会小平支部も通学路・歩道・横断橋・信号機・ガードレールの整備、交通整理のためのみどりのおばさんの設置などに取り組んだ。子どもの命を守るために、学校やPTAや他の団体が時に連携しながら活動していたのである。
 夏休みは子どもたちにとって、学校から解放され、遊びや宿題にいそしむ自由で楽しい時間だった。夏休み期間中、PTA地区委員会は、子ども会活動として、地区ごとにラジオ体操のほか、遠足、工場などの見学会、ドッジボール大会、肝試しなど多彩な行事をおこなっていた。一九六六(昭和四一)年の夏休み、一小たかの台第一地区では、子ども会活動が夏休みだけで終わってしまうのでは意味がないとして、年間をつうじた仲間づくりのため、地区の子どもたちを六つのグループに分け、班長を決め、その班長を中心にテーマを決めて研究に取り組むこととした。そして夏休みも終わりの八月三〇日に発表会をおこなった。ある班は新聞の作成、またある班は夏休み中の天気調べと、それぞれの班の発表には創意工夫がみられた(『広報』第一三号)。夏休みの子ども会活動は、子どもたちに楽しい遊びを提供するものであると同時に、学校でのクラスや友達を単位にした集まりとは異なった、学年・クラスを超えた新たな友情関係を築く場であり、夏休みの思い出として深く刻まれるものであった。
 地区における活動は、「教育は学校だけでするものではなく家庭とか社会とかが子どもにからみあって安全を守るための教育が行なわれなければならない」ものであり、学校と地域・地区と家庭の三者で子どもを育てるという理念にもとづいておこなわれていた(小平第二小学校PTA『ひまわり』第一一号)。子どもたちは、地区における子ども会活動をつうじて、地域と自分のかかわりを考えるようになる。一小上水第一地区のある子どもは、子ども会の思い出を以下の詩に綴った。
上水第一地区の子ども会。/いろいろな行事をした。/まだ下級生だったころ/牛乳工場見学をしたり/すいかわりをしたり/いろいろ楽しく勉強し、楽しく遊んだ日々。/そのような思いでを、あとにのこして、去って行く。/もうすぐぼくたち六年生は、一つ上の中学校へ進む。/上水第一地区も、もっと立っぱになってもらいたい。/とてもさびしい気持。/中学生になったら子ども会はない。しかし、ぼくはもっと立っぱな上水第一地区になってもらえばそのさびしさはとんでしまうだろう。/それは、ぼくたちがりっぱな上水第一地区の先ぱいだから。/がんばれ上水第一地区。/学校中に上水第一地区の名を広げるように…/上水第一地区のおばさんたちいろいろおせわになりました。/この地区をりっぱにするように、これからもお願いします。〔/は改行――引用者注〕(『広報』第二七号)

 この詩から、子ども会活動の楽しかった思い出と、子ども会活動をつうじて「立っぱな上水第一地区の先ぱい」としての自我を形成し、上水第一地区がもっと「立っぱ」になってくれることを願うようすがみてとれる。地区に生きる子どもの姿がここにはある。

図6-23 地区子ども会の「6年生を送る会」のようす 1970年
小平第一小学校PTA『広報』第27号