大学のまち小平には三つの画期がある。一九三〇年代と一九六〇年前後、一九八〇年代である。
一九三〇年代前半には津田塾大学の前身の女子英学塾と、一橋大学の前身である東京商科大学の予科がそれぞれ小平に移転してきた(戦後に一橋大学小平分校と名称変更)。武蔵野の面影が色濃く残る一帯に学生の通う空間ができた。
次の画期は一九六〇年前後である。一九五九年に朝鮮大学校が小平に移り、その翌々年の一九六一年には武蔵野美術学校が小平に移転し、翌年に武蔵野美術大学と改称した。白梅学園短期大学は一九六四(昭和三九)年に小平に移転し、白梅学園高校を付設する。こうして、現在の小川町一帯に大学生の学ぶ空間がつくられた。当時の写真を見ると、一面の畑のなかに三つの学校の四階建てや三階建ての校舎が忽然(こつぜん)と建っている。
三つ目の画期は一九八〇年代である。日本女子経済短期大学は一九八二年に嘉悦女子短期大学と改称し、小平市花小金井に新校舎を落成して移転してきた。ついで文化女子大学が一九八七年に小平キャンパスを開いた。
以上のうち、一橋大学小平分校は一九九六年に廃止され、同所には二〇〇三年に新たに一橋大学小平国際センターが設置された。二〇一二年の小平市には、津田塾大学、一橋大学、武蔵野美術大学、白梅学園大学・白梅学園短期大学、嘉悦大学(旧嘉悦女子短期大学)、文化学園大学(旧文化女子大学)の六大学があり、一万人を超える学生が学んでいる。