一九六八年の明治学級について、近藤春雄は、従来の高齢者対策が福祉面にかたより、しかも「財政事情等の関係から、根本的施策というよりひなたぼっこ的対策に終わっていた」ことを批判しつつ、高齢者の「意識をほりおこし、能力を引き出」す教育の重要性を訴え、学級の目標を次のように述べている。すなわち、家庭や社会のなかで積極的な役割を果たせない老人が、「明日への希望と活躍の場をお互いに考え、自信を深め生活目標をはっきりつか」むこと(「生活観の確立」)と、「孤独な老人をなくすために、学級活動によってできた生活観や自信を土台に、これを自分のものだけにとどめず、連帯意識に盛りあげて、家庭生活や地域社会に反映させること」(「連帯感の確立」)を目標とした。近藤が、都心の「近郊地区」である小平市では、「地域連帯は乏しく〔中略〕地域課題の担い手は婦人と老人に期待するところが大きい」とも述べていることは、先の「連帯感の確立」が「孤独な老人」の解消だけではなく、郊外化が進展したなかでの「地域課題の担い手」として、高齢者にかける行政の期待が大きかったことを示している(近藤春雄「小平市における明治学級」)。
表6-15より、一九六四年より七四年までの寿学級、明治学級の募集定員と申込者数をみると、募集定員が五〇名であった六八年までは定員を上回る申込者があったことがわかる。六九年には募集定員を一〇〇名としたものの、申込者は七三名と定員に満たなかった。以後は年度により募集定員数に変動があるなかで、申込者数は七〇名から九〇名くらいの間を推移していることがわかる。また、表からは、女性の参加が多いこと、申込者よりも修了者の数が少ないことから脱落者が一定数存在したことを指摘できる。女性の受講者が多いことについては、小平の社会教育担当者が「女性が家事から解放され、今こそ、学習機会の到来とこの学級に参加した結果だと言う見方が強い」と指摘している(『明寿』第一三号)。一九六七年の明治学級に参加した女性は、手芸クラブでの活動を「三十年来の主婦業からぬけ出した一時(ひととき)、娘時代に返った様な気分で、週一回の手芸の時間が楽し」かったと述べている(『明寿』第二五号)。女性たちの参加の理由として、主婦業からの解放が大きかったことを示している。
表6-15 寿学級・明治学級の参加者 | ||||
募集定員 | 申込者数 | |||
年 | 計 | 男 | 女 | |
1964 | 50 | 64 | 25 | 39 |
1965 | 50 | 67 | 24 | 43 |
1966 | 50 | 56 | 18 | 38 |
1967 | 50 | 64 | 20 | 44 |
1968 | 50 | 70(49) | 17(10) | 53(39) |
1969 | 100 | 73(60) | 25 | 48 |
1970 | 90 | 93(60) | 28(23) | 65(37) |
1971 | 60 | 87(62) | 12(9) | 75(53) |
1972 | 80 | 73 | 4 | 69 |
1973 | 115 | 93 | ||
1974 | 60 | 84 | ||
(出典)『小平の社会教育』小平市教育委員会、1969年3月・70年3月・71年3月・75年3月、『小平市報』、『市報こだいら』より作成。 (注1)1968-71年の括弧内の数字は修了者数。 (注2)1970年以降は、2~3のコースの募集定員・申込者数を合計したもの。 |
学級のプログラムをみると、一九六八年までは午前中に講義や話し合い学習などをおこない、午後は盆栽、墨絵など各自が所属するクラブで活動している。六九年になると、午前中に全体会として講義・話し合い学習などに取り組み、午後は「郷土史」、「老人問題研究」、「謄写と編集」、「家庭園芸」のコース別に学習した(募集定員は各コースに二五名が割り振られている)。「老人問題研究」では市長と対話をおこない、市長の求めに応じて建設予定の老人福祉施設にかんする要望書を作成し提出している。一九七〇~七四年は、設定されたコース別の学習を午後に二時間から二時間半おこなう形式となった。六九年までは、参加者全体での学習をおこなった後にクラブ活動やコース別学習に取り組んだが、七〇年以降はコース別学習のみをおこなうカリキュラムに変化した。表6-16にあるように、五〇歳以上の人口が総人口に占める割合は増加を続けていることから、経費や事業量を減らしつつ募集定員の増加をはかるため、コース別学習の方式を採用したものと推測される。七〇年には、明治学級の対象年齢は五〇歳以上となり、明治生まれという条件はなくなった。
表6-16 小平市における50代以上の人口推移(1955-90年) | ||||||||
1955年 | 1960 | 1965 | 1970 | 1975 | 1980 | 1985 | 1990 | |
人 | ||||||||
総人口(a) | 29,175 | 52,923 | 105,353 | 137,373 | 156,181 | 154,610 | 158,673 | 164,013 |
50代(b) | 1,748 | 3,221 | 6,314 | 8,624 | 11,095 | 14,775 | 18,873 | 21,064 |
60代(c) | 1,126 | 1,892 | 3,435 | 5,144 | 6,881 | 7,891 | 9,781 | 13,366 |
70代以上(d) | 618 | 1,076 | 1,913 | 2,749 | 3,806 | 5,342 | 7,430 | 9,179 |
(b)/(a) | 6.0 | 6.1 | 6.0 | 6.3 | 7.1 | 9.6 | 11.9 | 12.8 |
(c)/(a) | 3.9 | 3.6 | 3.3 | 3.7 | 4.4 | 5.1 | 6.2 | 8.1 |
(d)/(a) | 2.1 | 2.0 | 1.8 | 2.0 | 2.4 | 3.5 | 4.7 | 5.6 |
(出典)『国勢調査報告』より作成。 |