ケースワーカーの取り組み

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連絡会の初期の活動を中心的に担った小平市福祉事務所のケースワーカーに菅生紀がいる(『地域精神衛生活動のあゆみ』)。「精神障害者の問題を中心にして」という文章のなかで菅生は、地域の役割の重要性を強調する。それによれば、当時は精神病に対する偏見があり、精神病院は人里離れたところにつくられ、精神病院を選ぶ家族も遠隔地を選ぶ傾向にあった。治療方針は、先の徳永医師が言うように考えられており、患者を紹介する可能性の高い福祉事務所のケースワーカーも、患者に入院措置を促すことだけを考えていた。それに対して連絡会が設置された小平では、ようやく「地域ぐるみで精神病患者の処遇」を考えられる機運がでてきたとして、「家族の協力」とそれを保健所、福祉事務所といった「地域の機関及び住民」が支える関係をつくることが「広い意味での治療」なのであり、ケースワーカーの役割は「広い意味での治療」の一端を担うことにあると述べた。
 菅生の文章を掲載した、小平・東村山地域精神衛生業務連絡会『地域精神衛生活動のあゆみ』(一九七六年)には、小平市福祉事務所で一九六六(昭和四一)年から一九六九年まで菅生が担当した精神病院の入院患者の実践記録が紹介されている。それによれば、当時、精神障害者の自立更生にとって、「『封建的』な扶養義務関係の対象としての親族の協力」や「家族の道義上の責任」を追及する考えが主流のなかで、菅生は、すでに、地域の協力関係のなかに家族の問題を位置づけ直そうとした形跡があり、それが連絡会の下地になったのではないかと指摘している。
 精神病院や福祉の施設、機関が多く集まっていたものの、個々に存在していた小平では、一九六〇年代末に医療や福祉を担う人びとの努力によって「地域ぐるみ」の状況がつくられつつあった。小平における地域のあり方、「くらしを支える仕組み」を考えるうえで、地域精神衛生業務連絡会が果たした役割はとても大きかったのである。連絡会については、第七章第五節でまた取り上げることにする。
 
表6-18 小平市における地域精神衛生業務連絡会の議題(抄録)
年月日議題
1969年7月①入院患者と家族に対する福祉サービス
②リハビリテーションとアフターケアの方法
③地域活動のすすめ方
1969年9月①リハビリ活動のすすめ方
②地域会の運営について
1969年10月①事例研究 アル中患者の家族への働きかけ、在宅患者の行動観察の仕方
1969年11月①事例研究 病識のない患者の治療への誘導方法
1970年1月①多問題家族へのアプローチ
②宗教にこっている家族の問題
1970年4月①アル中患者の生活指導
1970年10月①事例研究 住民から環境精神衛生上問題になった精神障害者について
1970年11月①精神衛生法の解釈について
1972年1月①老人の精神障害の問題
②神経症について
1972年2月①精神分裂病者の社会復帰の援助とアフターケアのすすめ方
1972年3月①事例研究 治療拒否患者への働きかけ
1972年4月①小平福祉会館建設にともなう利用方法について
②地域家族会育成について
(出典)小平・東村山地域精神衛生業務連絡会『地域精神衛生活動のあゆみ』1976年より作成。