「団地族」と新しい故郷

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『日本団地年鑑 首都圏版』(一九六七年度版)によると、世帯主は比較的大規模な事業所に勤務する管理職、専門・技術職、事務職などのホワイトカラー層が中心で、教育程度も高い傾向にあり、「団地族」が「インテリ階級の集団であるといっても過言ではない」と指摘されていた。
 団地族は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」から、カラーテレビ・クーラー・カー(自家用車)の「3C」へと、つぎつぎと発売される耐久消費財に対し、旺盛な購買意欲を誇っていた。団地住民の生活と意識を調査した社会心理学者の石川弘義は、「年齢の割には所得の高い人が多くて、耐久消費財を買う余裕があった。また、近代的生活をするんだという気負い、周囲との競争意識などがその背景」にあるとして、「団地族」こそが「日本人の消費行動の先兵的な役割を担わされた」と指摘した(「昭和経済五〇年 団地族」 『朝日新聞』一九七五年九月一四日)。

図6-32 小平団地自治会『さざんか』の広告 1969年
小平団地自治会『さざんか』第34号、小平団地自治会所蔵

 一方、団地族の新しい気質も指摘された。「新しい票田・団地族」という記事(『朝日新聞』一九六〇年一〇月三〇日)では、団地族を「票田」としようとする保守勢力も革新勢力も、ともに「手を焼く」「一筋ナワではいかない」とぼやいていることが報告されている。団地族は土地の因習や伝統とも無縁で「義理や人情の割り込む余地」がない。政治的関心は強いけれども、行動力がなく「アパートの構造そのものが、他人を寄せ付けないようにできている。隣同士でも、挨拶を交わさない人たちさえある」ので、団地族を組織化し支持を拡げるのは難しいというのである。
 つまり「インテリ」「ホワイトカラー」を世帯主とする団地族は、消費に強い関心をよせる一方、地縁や組織にわずらわされずに、個人主義的なライフスタイルを追求している、というのが一般的なイメージだった。
 しかし詩人の谷川俊太郎は『日本住宅公団一〇年史』のために「新しい故郷――団地族に捧げる」という詩を書き、そうした一般的な団地族像とは異なり、団地の人びとが寄りそいながら、「新しい故郷」をつくっていく可能性をうたっていた。
丘へと帰ってくる無数の足が
それぞれにたどる夢への道程
洗濯機の渦の中に
互いに現れる烈しい幸福と不幸
 
青空に向かって開きながら
窓はもうひとつの窓に向かって開く
自分のために歌いながら
人は見知らぬ隣人のためにも歌っている