子どもたちのために

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小平団地には若い夫婦や子育て中の家族が多く入居したことから、自治会は子育ての支援や生育環境の整備にも関心をよせた。一九六七(昭和四二)年一月から三月までの二か月足らずの間に、三六人の新生児誕生の知らせが自治会事務所に届けられお祝い品が送られたが(『さざんか』第一六号)、こうした出産ラッシュの中で保健所と協力して保育相談会を集会所で開いた。また団地周辺には幼稚園の数が不足していることから、会員の要望で集会所を使った幼児教室が一九六七年四月に開設された(『さざんか』第一五号)。九時半から正午まで、三歳から五歳を対象とした、幼稚園教育に準じた内容の幼児教室は、「正直申して、最初はあまり期待しておりませんでしたが……子供達の喜びは母親の想像以上でした」と母親たちからは好評で、幼児教室の意義を感じた人のなかからは「一人でも多くの子供達にこの幸せを分けてあげたい」と公立幼稚園設立運動に立ち上がるものもあらわれた(『さざんか』第一八号)。この幼児教室は一九七一年度まで続いたが、こうした自治会の手作りの活動が、母親たちの意識を変えていったのだった。

図6-36 小平団地自治会幼児教室の子どもたち 1969年
小平団地自治会『さざんか』第43号、小平団地自治会所蔵

 教育相談会や子ども向けの活動・イベントも数多く企画された。一九六六年度の自治会主催納涼行事の盆踊りは、トラブルが発生して不評だったことから、次年度から子ども向けの催物中心となり、金魚すくい、マンガ映画大会、人形劇、花火大会、交通安全教室などがおこなわれた。自治会による団地子供会では、東京学芸大学の児童文化サークルの指導で、子どもクラブ、新聞部、豆の木クラブ(読書クラブ)の三つの活動が毎週土曜日におこなわれた。また自治会事務所に集めた本を貸し出す「さざんか文庫」の活動も一九六七年一一月からはじまり、土曜日の午後の事務所は子どもたちでごった返したというが、書籍購入費は少なく会員数に比して蔵書数が全く足りておらず、こうした現状を前に、書籍購入補助金の支給や図書館建設を市に対して求める声が起こっていった(『さざんか』第一〇〇号)。
 団地内には幼児向けの児童公園はあるが、そこで小学校高学年から中学生の「中共(ちゅうども)」(小平団地独特の呼び方)が遊ぶのは危険だということで、「中共」向けの遊び場を要求する声が高まった(『さざんか』一第一五号)。その後二千を越える署名を背景に遊び場建設を公団に要求し、一九六九年に「中共広場」の建設が実現した。