通勤からみた小平の移動

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小平市における就業と通勤の状況を確認するために、一九七五年の国勢調査にもとづいて表6-21を作成した。これによれば、市内に住んで就業している一五歳以上の男性は四万七五四九人、このうち他市町村で就業する人は三万四五四人(六四%)、市内で就業する人は一万七〇九五人(三六%)だった。他市町村就業者は二五歳から五四歳までに多く、各年齢にまんべんなく存在している。市内就業者のうち、自宅以外に住む人は一万一七三八人、自宅に住む人は五三五七人であり、自宅以外に住む人は二〇歳から四四歳に多く、自宅に住む人は三五歳から五四歳に多かった。工場の展開と、後述のように、この時期に市内で商店数が増加していることをふまえれば、自宅以外に住む男性は市内の工場などにつとめており、自宅に住む男性は市内で商店などを開いていたのではないかと思われる。
表6-21 小平市にかかわる就業者の構成 1975年
内訳小平市在住他市町村在住
小平市内で就業他市町村で就業小平市内で就業
自宅自宅外
男性 計5,35711,73830,45414,200
15~19歳115712477289
20~243322,6002,9531,704
25~295052,6915,3983,037
30~346661,7574,7232,568
35~441,7462,1998,2003,670
45~541,0469895,5081,912
55~645825262,393753
65~74295235757245
75歳以上70294522
女性 計4,4966,4928,7924,395
15~19歳49411689228
20~242071,3672,4991,199
25~294437421,642825
30~34727673781446
35~441,5401,6891,501828
45~548921,1501,181593
55~64469400428243
65~74147576730
75歳以上22343
総計9,85318,23039,24618,595
(出典)『昭和50年国勢調査 第4巻 通勤・通学編』より作成。

 以上の市内在住で就業する男性に対して、他市町村に在住して小平市に就業する男性が一万四二〇〇人存在していた。市内在住で市内に就業する人一万七〇九五人と合わせると、市内で就業する男性は三万一二九五人になり、市内に住んで他市町村で就業する男性よりも多い男性が市内で就業していた。一九七五年の小平市は、市外で働く男性も多かったが、市内で働く男性も多かったのである。
 小平市に住む一五歳以上の女性の就業者は一万九七八〇人であり、同じく小平市に住む男性の就業者の四二%だった。女性就業者のうち、市内で就業する人は一万九八八人(五六%)であり、市外で就業する人は八七九二人(四四%)だった。市外就業者の男女をくらべれば、七八%と四分の三が男性だった。結婚している市外就業者の多くは、男性が市外に働きに出て女性が家庭に残る性別役割分担のタイプの世帯をかまえていたと思われる。これに対して、市内の自宅に住む女性は、おそらく商店などを夫婦で営んであり、自宅外に住む女性のうち、若い人は工場などに勤めていたものと思われる。
 男女合計の市外通勤者のうち、六一%が都内二三区に通勤しており、三四%が都内他市町村、五%が他県だった。これに対して、小平市外から小平市に通勤してくる男女のうち、都内他市町村からが七一%、他県一七%、都内二三区一二%だった。小平市は、市内に定住ないしは滞在して東京二三区を中心とした小平市外に通勤する人も多いが、市外から小平市に働きにくる人も多く、市の内外での移動が活発な地域だった。
 小平市の内外に住み、小平市で就業する男女を合計すると四万六六七八人になる。このうちの五五%が第三次産業の就業者であり(サービス業二三%、卸売・小売業一八%)、四三%が第二次産業の就業者だった(製造業三四%、建設業九%)(小平市総務部庶務課『人口統計』)。ここで一九六〇・七〇年代の小平市の昼間人口における就業者数を確認すると、一万三千人(一九六〇年)、二万九千人(一九六五年)、四万四千人(一九七〇年)、四万七千人(一九七五年)、五万二千人(一九八〇年)というように、一九六〇年代に急増し、一九七三年の石油危機で横ばいになり、その後ゆるやかな増加に転じた(『小平市三〇年史』)。産業別の就業者数では、第一次産業の農業就業者が減少し、一九六〇年代において第二次産業を中心に第三次産業を加えた構成となる。石油危機後に製造業就業者が激減して、第二次産業と第三次産業の就業者比率が逆転し、一九七〇年代以降は、第二次産業就業者の横ばいと第三次産業就業者の漸増、第三次産業就業者のなかでは卸売・小売業、飲食店、サービス業の増加が確認できる。以上の推移のなかでも、人口の急増にともなって商店数が急増し、第三次産業の就業人口が増加したことと、一九六〇年代まで製造業の就業者が多かったことが、小平市の昼間就業者数を増加させる大きな要因だった。
 以上からすれば、一九七〇年代半ばの小平市を、都心に通勤し、寝に帰るだけの大都市郊外の衛星都市やベッドタウンであると規定するのは正確でなく、小平市はベッドタウンとしての性格と、就業の場所としての性格の両面をもっていたのである。