通学からみた小平の移動

609 ~ 610 / 861ページ
以上の通勤の動向に対して通学はどうだったのか。同じく一九七五年の国勢調査で確認してみたい。一九七五(昭和五〇)年に市内在住の一五歳以上の学生生徒数は一万五八〇〇人、このうち市外の学校に通学する学生生徒数は九一九七人であり、逆に市外から小平市内に通学する学生生徒数は一万三四七人だった。小平市内の学校に通学する学生生徒の総数を計算すると一万六九五〇人になる。その内訳として小平市内在住者は六六〇三人、小平市外からの通学者は一万三四七人だった。ちなみに一九六三年に開校した小平高校の場合、一九六四年度の生徒の現住所は、小平市二三%、東村山市一七%、田無町一六%、保谷町一三%、武蔵野市八%となっており、生徒は隣接する他市を中心にして小平高校に通学していた(東京都立小平高等学校『学校要覧』)。通学に使う交通機関は、西武新宿線下り二五%、私バスと西武新宿線下り一六%、西武新宿線上り一三%、徒歩のみ一〇%、私バスと西武新宿線上り九%、自転車七%となっていた。通勤と同様に、通学においても学生生徒の市内外の移動が活発なのが小平市の特徴だった。
 ところで、小平市内に在住する学生生徒六六〇三人は、一橋大学小平分校の一橋寮や津田塾大学の東寮・西寮、白梅短期大学の若葉寮などやアパートに下宿して大学に通学する大学生と、小平市内の自宅から高校に通学する高校生だった。この統計には含まれていないが、小平市には朝鮮大学校内の寮に主に住んでいた朝鮮大学生もいた。後掲の第八章第三節2の表8-1に示したように、一九五九年に朝鮮大学校が移転して以降、小平市内では朝鮮籍を中心にした在日朝鮮人が多く住むようになった。このことも小平市の通学の特徴である。

図6-40 津田塾大学生のバス通学 1963年
『Tsuda College 1963』、津田塾大学附属図書館所蔵