医療機関と福祉関連施設に通い、住む

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人口が急増した戦後の小平市では、小平市内に住む人たちが市外に通勤と通学で出るだけでなく、小平市外からも多くの人たちが通勤と通学でやってくるのが特徴だった。製造業に商業を加えた就業の場所が市内にあり、さらに市内に大学・短大・高校が多く集まっていることがこのような移動をつくりだしたのである。
 小平は戦前から大学や教育機関の多く集まる地域だった。それに加えてもうひとつ、医療機関と福祉関係施設が多く集まるのも小平の大きな特徴だった。戦前における昭和病院や傷痍軍人武蔵療養所の設置、戦後にできた医院や身体障害者補導所、身体障害児の病院や養護学校など、戦後の小平には、医療機関や福祉関連施設が多く集まっていた。先述のように、これら医療機関や福祉関連施設、学校に入るために、他地域から通ったり、家族で転居したりする人たちがおり、さらに施設や学校の卒園・卒業後も小平に住みつく人が少なくなかった。
 戦後に人口が急増した小平の特徴を把握するにあたり、人数でみれば青年層・若年層の流入が大きな比重をしめ、通勤や通学の動向が大きな傾向を示したが、それに対してもう一つ、医療機関と福祉関連施設に通い、定住するようになる人たちがいたことを加えておく必要がある。これらの人たちは、人数でみれば必ずしも多くないが、戦前以来、精神医療や身体障害などの機関・施設が多く集められた小平で、一九七〇年代になると福祉をめぐる運動や活動が活発になる前提としていた人びとであり、小平における移動が福祉と結びつく重要な条件をつくっていた。